「なぜ」が失いかけている
千葉・小4女児虐待死事件。まだまだ美徳とする「波風を立てない」社会風土。学校、児童相談所にその体質が透けて見える。これは全ての勇気を奪う。
共同体において、行動する際の判断基準は、「善悪」という客観的基準よりも「迷惑をかけない」とか、「迷惑をかける」という主観的基準を重視しがちな国民性。
いくら体制を整えても、体制を維持する人間の力量が高まらないと組織の役割は果たし得ない。ポイントは「自律心」の熟成度である。つまり、「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」。不透明、不確かな時代。加えて、100歳時代の到来。その重要性は増すばかりだ。
しかし、実態は真逆の方向に進んでいる様な気がしてならない。「なぜ」がどんどん失いかけている様に映るからだ。自律心のスタート点である「自ら考える」点が欠落しているため、後続が途絶えてしまう。
その結果、「善悪」を判断する視点をしっかり衰弱させてしまったと考えられる。加えて、共感力・想像力、さらに勇気をも失いかけているのでは。
「和をもって貴し」の構造は、組織における不祥事や事故、事件に歯止めをかけることは難しい。社会を変えるキーは「自律心」の熟成度にかかっている。
以 上