抗う少年に向き合う親の姿


  抗う少年と親との関係は、抗う少年に対する親の向き合い方によって少年に与える影響は大きく異なると考えています。
 
  まず、嘆く親は自分の「非」に気付くことはまずないでしょう。そして、親はその立場から逃れたいと強く思うことでしょう。そして、他者に被害意識を強調することで、他者の力を借りる傾向を強めることでしょう。その際、他者とは同調者を指します。
  これは、子どもと向き合うことを益々遠ざける構造です。指示、強制からは信頼と希望の種は蒔きません。「聴く力」「寄り添う力」の威力を知るよしもないでしょう。
  これはアルコール中毒、薬物中毒の少年と親との関係にもそのまま当てはまる構造だと考えています。

  子どもに対する「与奪権」を持つ親。次の二つの事件は、私達に大きな教訓を与えています。
  一つは、記憶に生々しい世間を震撼させた「秋葉原無差別殺傷事件」(平成20年6月)です。7人死亡、10人重軽傷。加害者は、事件を起こす前に既に親に殺されていた、という評価が高いのです。つまり枯れ(当時25歳)はひがいしゃでもあったのです。
  もう一つは、「西鉄バス乗っ取り事件」(平成12年5月)です。1名死亡。、1名重傷。中学に進んでも成績抜群、3年の一学期まではトップクラスの高校を志望していました。ところが、いじめに遭い不登校、家庭内暴力、そして保健師をしていた母親は恐怖を募らせ、両親は少年を無理矢理精神病院に入院させたのです。その間、両親はあらゆる期間に相談にまわるが、少年とは向き合おうとはしなかったのです。高校へは9日間通っただけで不登校になり、17歳の時に事件を起こしたのです。

  事件に共通しているのは、一つは、親は少年とは向き合おうとはしなかったことです。もう一つは、事件前、既に親に殺されていたことです。少年が問題行動を起こす土壌を家庭が肥やしていないか、大いに自省してみる必要性を感じるのです。

  次に、自責の念を持つ親は自省に始まる検証と努力を重ねることによって、子どもに寄り添うこと、聴くことの大切さを学ぶことが出来ると考えます。そして、何よりも重要なのは、親の人間としての成長が期待出来ることです。
  また、不確かな時代に生きる子ども達の人生に大きな利器を与えるに違いありません。それは「自律心」という利器です。つまり、「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する。その結果に対して責任をとる」という構造です。このつぼみの萌芽が多ければ多いほど、美しい花を咲かせるに違いありません。

  法曹家を育成する塾で「子どもは受け入れて貰ったと感じることで、はじめて優しい気持ちや生きる力が生まれる」という記述に出会いました。親と子どもの関係はこれに尽きる気がしています。

  以 上