子どもの最善の利益
子どもの最善の利益は何か。私は、子どもの話を聴いてやることだと考えている。
「子どもは受け入れて貰ったと感じることで、初めて優しい気持ちや生きる力が生まれる」と考えられるからである。
ところが、この「聴く」が想像以上に難しい。書く、読むに比べ、話す、聴く、の教育が薄いことが原因の一つに数えられよう。言われて久しいが改善の兆しは感じられない。特に、子どもの人権を守ることを職業とする人達には致命的になることになることも十分考えられる。例えば、学校、児童相談所の職員。そして親。親は職業ではないが含まれる。
以下は、青森公立大学「コミュニケーションスタディーズ」で学んだことである。
まず、「聴く」ことは「聞く」ことではない。
「聴/聽」という漢字を見て欲しい。「聽く」には、耳あり、目あり、心ありである。一は一点に集中。王は傾いて、である。この全てを使って聴くのが「聴く」である。
では、なぜ良き聴き手になる必要があるのか。
自分で考えるきっかけになる。「自律心」の萌芽である。そして、話を聴いて貰ったことで「安堵感」を醸成。この積み重ねによって子どもが自信を身に付ける様になると考えられるからである。いわゆる「自己肯定感」の誕生である。真逆の構造が「自己否定感」である。
そのためには、
誠実な質問と相手の立場で考え、適切な表現で伝えることが求められる。これは、想像力がものを言う世界である。
留意すべき点は、@十分な時間をとって、相手が話したいことの全てを話させるよう心がけること。A自分の好奇心を満たすだけに、話を聴いてしまうことは要注意である。
最後に、聞いて貰えないことによる影響をしっかり押さえておきたい。
@やる気や自主性を削ぐ。A孤立に追い込まれる。B心の病気を招く恐れがある。どれ一つをとっても、健全な育成には危険なことである。
子どもの話を聴いてやることは、想像力を鍛えることが重要なテーマとなる。その為には、「自律心」の醸成は欠かせないと考える。ところが、他者の評価が気になって仕方がないレースの様な人生観からは「自律心」の涵養は難しいと考えられる。加えて、自律心の実践にはまだまだ「勇気」のいることである。同調圧力の強い社会風土が待ち構えているからだ。「勇気がなければ全ての資質は意味をなさない」。と話すのはチャーチル元イギリス首相である(「チャーチル名言集」より)。
以下は、「学校の『当たり前』をやめた」千代田区立麹町中学校校長工藤勇一著からの抜粋である。
「学校は子ども達が、『社会の中でより良く生きていける様にする』為にあると私は考えます。その為には、子ども達には『自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質』すなわち、「自律」力を身に付けさせていく必要があります。社会が益々めまぐるしく変化する今だからこそ、私はこの『教育の原点』に立ち返らないといけないと考えています。今、日本の学校は自律を育むことと、真逆のことをしてしまっている様に感じます。」
以 上