100歳時代をどう生きるか


  100歳時代、どう生きるか。地図はありません。海図も無ければ羅針盤もありません。と語る作家五木寛之氏。座視していれば遭難する。だとすれば、自ら羅針盤を作るしかない。
  「もう年だから」というキーワードを使えない。定年後は、あまりにも長すぎるからだ。しかも、学歴、職歴などの属性は利器にならない。
  この点、レースの様な人生を歩んできた人達にとっては辛い。属性が利器にならないからだ。一方、何かに挑戦し続けている人は常に若々しい。ここに100歳時代を走り切るヒントが潜んでいる様な気がしている。紹介するのは、ある詩人の言葉である。
  「人は、歳を重ねただけでは老いない。理想や情熱や希望を失ったときに、初めて老いが来る」。
  年輪を重ね、精神力と体力が衰えたとき、私は精神的衰えが怖い。いくら体力があっても精神力がなければ体力を引っ張れないからだ。これは、機関車と客車の関係に似ている。
  私は、「自律心」を活用し目標を設定、何事があっても慌てず、焦らず、諦めず、一歩一歩目標に向かって努力を続けていくしかないと考えている。
  目標と目的を設定、その手段を常に修正しながら前へ進む。そうすると、100年人生、かなりのことに挑戦できるのではないか。「受け身の人生」では100歳は余りにも長すぎる。その際、利己主義ではなく利他主義。損得ではなく善悪。そんな言葉を大事にしながら。
  私には夢がある。北欧の大学へ留学して学ぶことだ。まず、授業料無料は魅力的だ。そして、ゆっくりした生活テンポ、福祉的発想・100歳時代を生きるヒントの宝庫だからだ。
  100歳時代、何かを成すには「十分な時間」だと捉えるか、それとも体力、知力が衰え「余生」と捉えるのか。これは、後々の人生に大きな影響を与える様な気がしている。

  以 上