人生に大きな影響を与えた少年時代の新聞配達
「人は、年を重ねただけでは老いない。理想や情熱や希望を失った時に、はじめて老いが来る。」私は、この言葉が好きだ。
現在、老いに立ちはだかり元気な人生を歩んでいる。振り返れば、その礎になったのは、中学2年時の1年2ヶ月に及ぶ新聞配達にあったようだ。みんなが学習したり、部活をしたりしている時に新聞配達をする。当時の雪は深く、ブルドーザーが道路の雪を除排雪することはなかった。だが、目的がハッキリしていたから、辛いと思うことはなかった。そして、この辺りが「自律心」涵養の原動力であった様な気がするのだ。
小学校6年時は優等賞受賞・スポーツ優秀。しかし、中学1年時は部活動に入部せず、学業に専念した。その結果、学業成績は50人クラス中常時上位を争っていた。
当時は「座り机」で勉強していた。が、「椅子付机」があれば、更に勉強が出来ると考え始めた。しかし、机を買う余裕はなかった。そこで、考えたのが新聞配達であった。
ところが、待ち構えていた光景は真逆であった。下校→新聞販売店へ直行→新聞配達→帰宅6時過ぎ→夕食→ばたんきゅうの繰り返しであった。学業成績は急降下、下位を争う様になった。新聞配達は学業を直撃したのだ。その間、親は新聞配達を辞めなさいとも、頑張りなさいとも言わなかった。全ては、私が判断し、決断し行動していた。
新聞配達を辞めた3年時には野球部に在籍、中体連後は高校受験モード一色になった。学業成績はぐんぐん伸び、無理なく県内有数の進学校に合格できる水準に達したのであった。
既述した体験から多くのことを学んだ、と感じ始めたのは70歳過ぎた頃である。中でも「自律心」の萌芽はこの時期であったことが分かったのだ。その後、沸々と「自律心」を醸成、次の様な言葉に出会うことになった。
・「個にして弧ならず」
・「あす死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べよ」
・「成功することは素晴らしい。成功しなくても、成長することはもっと素晴らしい」
確かに、少年時代の新聞配達で失うものもあった。しかし、収穫は大きかった。特に「自律心」の萌芽は後々の人生に大きな影響を与え、長寿社会を生きる原動力になっている。
ぶれない人生観。他人と比較しない人生観。無知を特権にする変換力。衰えない学習力。基底にあるのは全て「自律心」の醸成にあったと考えている。
そして、不世出と評される伊藤塾塾長・伊藤真の「憲法講義」に出会うことになった。時に50歳を過ぎていた。
以 上