脅かされる平穏に教育を受ける権利


  吃音を理由にいじめを受け、敦賀市の市立中学校に通う男子生徒が悩んでいる。このことを報道で知った。
  充分に考えを伝えられず笑われる。通学も滞りがちだという。部活でも孤立していたといい、「学校に行きたいけど、自然に涙がこぼれてくる」と話しているというのだ。
  子ども達が平穏に教育を受ける権利を奪ってはならない。形態は直接、間接、官民を問わない。子ども達の教育を受ける権利は憲法(26条)で保障しているからだ。子ども達はなぜ学校で学ぶのか。人格を形成、人権保障の為である。これは、学力テストからは学べない。逆に反比例の関係にあるかも知れない。
  彼は、平穏に教育を受ける権利を奪われていることは明白である。しかも、このいじめは分かり易い。ではなぜ学校が適切な対応が出来ないのか。主因は教員の想像力の欠如にあると考える。
  人権侵害を経験した教員は多くないはずだ。だとすれば、「涙がこぼれる男子中学生」に想像力を働かせなければならない。それが出来ていないのだ。
  いじめ対策のキーワードは、教員一人一人が想像力を高めることである。その為には何をなすべきか。考え、実践することである。
  一方、嘲笑する側の側面を見逃してはならない。彼等は嘲笑することで自らを癒やしている側面があるからだ。彼等は寂しく、愛情に飢えている。この様な子ども達が激増している気がしてはならない。彼等に寄り添うことは、いじめ防止対策にとても効果的と考える。
  私は、男子中学生の悔しさに涙した。保護者の悔しさはいかばかりか。同時に、学校現場の人権意識の低さに憤りを感じだ。
  いじめにあった中学生に期待する。これを教訓に人権意識の強い人間に成長して欲しい。
 

以 上