無知の特権と孤立


  優生思想的な考えは、誰の中にもあるのだろうか。高齢になって見えてきた風景は属性に縋り付く輩である。やたらと目に付く。つまり、学歴、職歴、貧富、障害の有無など、特に学歴、職歴に縋り付く傾向は顕著である。これは優生思想的な考えを支えに生きている証かも知れない。
  基底に流れるのは「他者と比較する」生き方である。では、なぜ人と比べて自分を測るのか、それは自分に自信がないからである。そして、自分に自信のない人は、自分に対する他の評価がとても気になる。悲劇的なのは、そのことが自らの成長を自ら断ち切っていることに気付かないことだ。
  その結果、虚栄心、見栄は強くなるが、聴く力、他者の力を借りる力が育たない。このことが、後々の人生に大きな影響を与えることになる。待ち構えている光景は寒々とした「孤立」である。
  ではなぜ、人は自信を持てないのか。これは「自立心」の涵養にかかっていると考える。そこは自らの弱さとの格闘場である。だから、そこは感動と教訓の宝庫である。そして、責任の根拠でもある。
  ところが、子ども達は従順さが美徳として、親、学校で教えられ育つ。加えて、会話が極端に減り、特に家庭内では挨拶さえ絶滅している家庭が増えている様だ。
  しかも、学校では「意見を言うと後でどうなるか」という不安や、失敗恐怖心が渦巻いているというのだ。これは「思考停止」に陥りやすい悪循環のスパイラルだ。
  「青春の特権とは一言をもってすれば、無知の特権であろう。」これは、三島由紀夫が述べたという。「知らなくて当然。先輩に何でも聞ける。いや聞いた方が喜ばれる。俺を頼りにしてくれる、かわいい新人だって。」
  「私は何も知りません」という人は怖い。この人達は「なぜ」を多用する傾向が強いからだ。「思考停止」状態は民主主義を破壊、人権を破壊する凶器である。ところが、責任を他者へ転嫁出来るから、本人はとても楽なのだ。
  今、青春の特権を行使できる若者達は激減していないだろうか。高齢になると、その傾向は更に強まる。老若男女問わず「孤立」は怖い。しかも、金銭で埋まらないのだ。
  「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺がある。無知の特権と孤立は反比例の関係にあるようだ。

以 上