敬老の日に思う
〜自立心の弱さは老後に響く〜


  腰は痛い。膝も痛い。しかし、最も堪えるのは精神の金属疲労である。「日常的無関心」という病である。これは「筋トレ」では埋まらない。
  体は心についてくるという。「自立心」を鍛えてきた人。他人の評価を支えに生きてきた人。この差違は定年後年輪を重ねるにつれて表面化してくる様だ。
  後者は、賢く振る舞うことが出来ても「優しさ」という選択が難しい。また、「日常的無関心」という病は後者のタイプを好む。
  でも、多くの人達は「自立心」を鍛える道は選ばない。他人の評価を支えに生きてきた人、つまり合わせスタイルの生き方は楽だからだ。しかも、回答が準備されている受験勉強では身に付かない。命令・強制が幅を利かせるスポーツを通じてはもっと難しい。ここに精神の金属疲労を起こす主因が潜んでいると考える。
  「成功する人は素晴らしい。成功しなくても、成長することはもっと素晴らしい」。長寿社会の生き方を示唆しているかの様で好きな言葉である。
  その為には、「自立心」の涵養は欠かせないと考える。自立心の涵養は日々格闘の連続である。だから、そこは人間の成長に欠かせない教訓と感動の宝庫であるからだ。
  この点、成功した人はとかく属性に縋り付く。その結果、人間の成長にあまり価値を置かないのかも知れない。昨今のスポーツ界の不祥事に触れ、その感を強くする。
  そこで、多様性認める精神、つまり、みんな違って当たり前、他人と違うことは素晴らしい。このメッセージを親が子に、教師が生徒に、シャワーの如く浴びせるべきである。これらは「自立心」の涵養に欠かせない。自立心は人間に活力を与え、成長を促す源流である。

以 上