女子体操パワハラ問題


  以下は、テレビ朝日に投稿したものです。
  女子体操パワハラ問題。時代に対応して変化できる、柔軟性を持った記者を送り込んではどうだろう。以下は、取材の基本姿勢に参考にならないだろうか。

  今話題の塚原夫妻
  人生の金メダル獲得が如何に難しいかを見る思いだ。全く業に切れがない。謝罪はするが、責任は取らない。他者を指導できても、自分の身を自分で処せない。つまり、「自立心」を鍛えてこなかった人達の典型例である。「自立心」を鍛えることは、日々格闘の連続である。属性にしがみつく生き方の人達には無縁の光景である。
  「成功することは素晴らしい。成功しなくても成長することはもっと素晴らしい。」この価値観は、レースの様な人生を歩む人達にとっては、視界にはいらない。全部ウソから始まり、謝罪まで来た。が、未だに未練たらしく属性にしがみつく。時代に対応して変化できない姿は見苦しい。時代は既に内面的価値、つまり愛情、共感、信頼などを重視する時代に移っている。日本国憲法の基軸である「個人の尊厳」である。簡単に言えば、人間としては皆同じであるが、個人としては皆違う、ということである。ところが、属性にしがみつく生き方の人達には、この辺りが視界に入らない様だ。

  取材歴40年のテレビ朝日スポーツコメンテーター
  この段になっても「彼は清廉潔白な人である」と評価する同コメンテーター。これまた、時代に対応して変化出来ない姿が目立つ。
  「自立心」を鍛えてこなかった。属性にしがみつく。同夫妻と共通している点に驚くのだ。
  事実にひかりを当てる時、彼が清廉潔白な人であるか否かは関係ない。これでは、事実を見誤る。よって、事実に対する評価も誤る。そもそも、事実を当てはめる規範、つまり自分の中に価値基準をしっかり持っているのだろうか。はなはだ疑わしい。
  体操取材歴の長さが「自立心」を鍛える必要性に封印、複眼的視点を見失ってしまった様だ。内面的価値を重視する視点、観点をすっかり見失っている。これでは、思い込みのコメントしか出来なくなるのは自然の姿なのかも知れない。
  時代に対応できない組織は淘汰されるのと同じ様に、個人においても淘汰される。これは社会の規範である。

以 上