孤立に追い込む親達(T)
〜聴く力は子どもの自立心を育む〜


  なぜ、この様な講演を始めたのか。
  「あのおとなしい子が・・・」「あの目立たない子が・・・」「あの勉強がよく出来ていた子が・・・」とは聞いたことはあるが、「あの子だったら何時犯罪を犯してもおかしくなかった」とはあまり聞いたことがありません。子ども達は居場所を失ったのでしょうか。何かがおかしい。
  そんな中、飛び込んできたのが「西鉄バス乗っ取り事件」(平成12年5月・1名死亡、1名重傷)でした。中学に進んでも成績抜群、3年の一学期まではトップクラスの高校を志望していました。ところが、いじめに遭い、不登校、家庭内暴力、そして保健婦をしていた母親は恐怖を募らせ、両親は少年を精神病院に入院させるのでした。その間、両親はあらゆる施設に相談に廻るが、少年とは向き合うことはしなかったのです。高校へは9日間通っただけで不登校になり、17歳の時事件を起こしたのです(「草薙厚子著:子供が壊れる家」参照)。
  自分の中学時代にタイムスリップさせたとき、上記環境下で平常心を維持できただろうか。とても怖くなりました。私には、少年は加害者であると同時に被害者に映ったのです。「少年とは向き合うことはしなかった」。そこに子ども達を取り巻く環境の変化に対応できない親の姿を見た思いでした。
  そして、「子供が親を殺す」「相手は誰でもよかった」こんな事件が後を絶ちません。彼等はきちんと受け止めてくれる人間に恵まれないまま成長してきたのではないか。そして、その予備軍は何処にいても不思議ではないと思うようになったのです。
  そこで、「聴く力」を高め、子ども達の寂しさを少しでも和らげることができないものだろうか。「多様性認める精神」を培い、子ども達をそのまま認めてあげることできないものだろうか。その為には、まず親が「個の確立」を図る必要があると考えたのです。
  確かに、日本の社会風土の中では、まだまだ「勇気」のある作業かもしれません。しかし、失敗して「教訓」、上手くいって「感動」。この繰り返しが自らの成長を促し、「自信」回復に繋がる。そして、自信は聴く力を高めるに欠かせない「想像力」を高め、多様性認める精神の醸成に大きく貢献する、と考えたのです。
  現実は結果全ての経済原理が幅を利かせているのも事実です。しかし。「子供は受け入れて貰ったと感じることで、初めて優しい気持ちや生きる力が生まれる」のも確かです。子ども達は、社会のグローバル化に加え、不確実な時代に生きなければなりません。しかも、待ち受けているのは長寿社会です。益々、一人一人が多様性を受け入れ、一人一人の自立していく能力が求められている様な気がするのです。

2002年7月

以 上