公衆道徳の欠落した教員

  皮膚科医院の狭い待合室に30人程はいただろうか。待ち時間は平均1時間半。その空間で「部活」の話を延々と喋り続ける男女の姿があった。
  察するに、男性は部活の教員、女性は部活に所属する生徒の保護者の様だ。声のトーンは徐々に高まり、高笑いが出るなど完全に自分達の世界に入り込んでしまっていた。
  私は、公衆の面前で職場の話をベラベラ喋る職業は他に知らない。公衆道徳が欠落した背景に潜んでいるものは何か。空間を舐めきった行動は教員にありがちなマウンティング思考が成せる業であろう。それとも校内で自由に自分の意見を述べる場所を失ってしまったか。得意満面にベラベラ喋り続ける教員の姿に哀れみを感じた。
  また、これは「自立心」の涵養が出来ていない証でもある。この手のタイプはとかく他の評価を支えに生きる。その結果、勝利至上主義に陥りやすい。「生徒の為に」という仮面をかぶり「自分の為に」一生懸命行動するタイプである。しかも、「自立心」の弱い保護者はとてもはまりやすい。これでは、子ども達に生きる力、つまり「自立心」の涵養は難しい。
  ところが、この様な教員像を偽政者が望んでいるとしたら、民主主義の熟成は絵空事だろう。「自立心」の醸成に偽政者が教員を手足に立ちはだかっているからだ。何の為に。国民が問われている。

以 上