ことの本質を見失っていないか
日大アメフト部悪質タックル問題。日が経つにつれ、歪んだ、背筋の伸びない社会現象を見せられている思いだ。大学側は勿論のこと、社会が加害、被害の選手達を大人として扱っていないからだ。中でもメディアの情緒的報道はことの本質を見失いかねない。
【日本大学について】
ラフプレイに関して、報道されている通りだとすれば猛省すべきである。弁解の余地がない。但し、一字一句については言いたいこともあろう。それは司法の場で主張すれば良い。メディアに翻弄されてはならない。
【期待したいこと】
体育会の民主化をより一層進めることである。選手達の「自立心」を涵養、勝利至上主義からの脱却を図ることだ。その際、ラグビーW杯でのエディー・ジョーンズヘッドコーチが残してくれたものを徹底分析、指導の指針にするのも一つの方法だろう。また、スポーツ先進国の指導者から思考回路の転換を学ぶことも良いかも知れない。より一層、日大カラー(桃色)に相応しい強くしなやかな体育会の誕生を期待したい。
【関西学院大について】
関西学院大側では、アメリカンフットボール部鳥内秀晃監督、小野宏ディレクターの二人のみが公の場でいろいろ発言している。が、大学の顔が見えない。全ては関西学院大の見解と受け止めて宜しいのだろうか。
時間の経過に伴い「真実を知りたい」ということを口実に、相手校を攻撃しているに過ぎない様にしか見えない。ことは大学行事での出来事である。教育の視点を見失う様なことがあってはならない。
加害者記者会見を勇気ある行為と評価したり、日大の対応と切り離し、悪質タックルをした選手を擁護する、と発言したり、日大アメフトの選手に何も罪がないのに定期戦中止を発表したり、とても教育機関である大学の振る舞いとは思えないのだ。自分の頭で考え、自分の価値観で決断し、自分でその結果について責任をとる。教育の目的を真っ向から否定している様な発信、全ては大学の見解と捉えて宜しいのだろうか。これでは加害選手の蘇生に害になっても益にはならない。
加害者の記者会見は「期待可能性」、つまり、試合場において自分には違法行為を避け、適法行為に出ることは出来なかったと理解を求めている様にしか映らない。これでは「自立心」の脆弱さを公の場でさらけ出している様なものだ。勇気ある行為とは、強い圧力の元でも犯罪行為を断ることである。ことの善悪を判断する思考回路が閉ざされてしまっている。これでは日大アメフト部の体質と大同小異である。
【当事者でない被害者の父】
表面に出過ぎである。子どもに過干渉する世相を影濃く反映した結果だろうか。ことは学校行事で起こった話である。被害届を出して、加害者の嘆願書集めを試みるなど冷静さを失った混乱ぶり。これでは子どもの成長の足しにはならない。
【両校に望みたい】
選手達の「自立心」を涵養、勝利至上主義からの脱却を図ることだ。体育会の民主化は、選手一人一人の「自立心」が前提である。指導者は選手達に「自立心」を涵養する責務がある。選手達がアメリカンフットボールに汗を流すのは、人間成長する通過地点に過ぎない。このことを忘れてはならない。
【スポーツマンシップ】
人間はとかく過ちを起こす。それを許すのもスポーツマンシップである。本件問題の核心は、体育会の民主化であり、勝利至上主義からの脱却である。日本大学を叩くことではない。方向性は一致している筈だ。時間の経過に伴い、ことの本質を見失うことがないよう願う。
以 上