無償の愛は不登校を防ぐ

   「不登校、教育現場に危機感」「予備軍も増えている」。これは2014年8月8日付け新聞に躍っていた見出しである。しかし、私には不登校、教育現場に危機感が漂っていると映ることはなかった。評価基準は、小・中学校における講演案内に対する対応にある。
  平成14年に始めた講演「孤立する子どもに気付かない親達」〜聴く力は子どもの「自立心」を育む〜も16年間続け、96回を数える。しかし、参加者は年々減り、参加者の悩みは深刻さを増すばかりだ。
  講演会に参加する人達は、9割9分お母さん達である。また、小・中学校の現場の人達が参加するのはゼロに近い。不登校問題解決のヒントはここに潜んでいると見る。一言で言えば、不登校問題に関心が薄いのだ。真剣に向き合っていないのだ。その一方で、子ども達に自己否定感を助長する保護者、教師が蔓延していないだろうか。
  不登校問題は、父母で取り組んでも難題だ。それを、母に任せっきりという光景は「忙しい」という常套語を使って逃げているに過ぎない。逃げているばかりか、一方的に母に責めを負わせる行為は、不安に怯え自分の弱さを隠蔽する手段なのだ。
  教育現場に至っては、確かに教師は、教えることに長けているかも知れない。しかし、子ども達の「内面」、つまり心に響く指導力は一般人同様であろう。ところが、それが問題なのではない。問題なのは、教師にその自覚がないことだ。その結果、内面の価値、つまり愛情・共感・信頼などを高めようとする意識が芽生えないことが問題なのだ。
  確かに、子ども達の環境は激変し、労働環境も激変した。格差社会の広がりは親達の不安を強め、教師達は評価を焦る。子どもを評価の対象にするが、共感の対象に出来ない構造が拡散しているのだ。加えて、世界的に不透明、不確かな時代である。だからこそ、内面の価値がものをいう時代になったと感じるのだ。愛情・共感・信頼などは古今東西問わず人間活力の源であると考えるからだ。
  不登校問題は、大人の外面と子ども達の内面とのミスマッチによるものが大きいのではないのか。つまり、大人達は受験学力に目を奪われ、内面の価値をおろそかにしてきた結果、大人達の内面の価値が子ども達の内面に追いつけて行けないでいるのだ。「子どもは受け入れて貰ったと感じることで、初めて優しい気持ちや生きる力が生まれる」「体罰は怒りと苦しみを生む。愛情は信頼と希望の種をまく」。これらの言葉を大事にしたいものだ。
  私が、講演を始めた動機は「西鉄バス乗っ取り事件」(平成12年5月・1名死亡、1名重傷)にあった。中学3年生の不登校に始まる、親の子どもに対する向き合い方に憤りを感じた為だ。「子どものため」と装い、他人の力を借りる為に奔走する。しかし、子どもには全く向き合おうとしなかった。親は、子どもの為に「一生懸命」やっている、という心に支配され、子どもの悩みを共有する必要性、重要性に気付こうとしなかったのだ。不安と怖さの余り、「一生懸命」に縋り付いている姿は哀れみさえ感じる。これは、子どもにとって最悪の構造である。加害者の少年は実は保護者による被害者なのだ。

                                                                                 以 上