聴覚障害は個性か

 「障害は個性」であるという声をきくことがある。憲法13条前段は「すべて国民は個人として尊重される」と規定する。憲法の中で最も重要な条文と言われるものだ。つまり。「個性」とは尊重されるものである。果たしてどうだろう。健常者の社会では、障がい者となれば一層心許ない。
  「障害は個性である」と評価する人達にどの程度の「多様性を認める精神」が醸成されての話だろうか。例えば、交通事故で片足を切断した場合、これは個性であると直ちに受け入れることが出来るのだろうか。普通人には、とても難しい話だ。
  だとすれば、障がい者に対する「無知」、無知による「偏見」、偏見による「不安」の余り、共感力のなささを覆い隠しているだけに過ぎないのではないのか。また、障害を個性として尊重されてきた歴史があっただろうか。私の記憶では真逆の歴史である。
  最も、障がい者に対する「無知」については、障がい者側にも果たすべき役割があるはずだ。つまり、障害を隠すのではなく、自らの障害を受け入れ、健常者側へ積極的に入り込んでいくことだ。少しの勇気が必要かも知れない。しかし、「無知」の解消は偏見をなくすばかりか、今まで見たこともない幸せな景色が目の前に現れる気がするのだ。

                                                                                 以 上