凜とした大人を見かけなくなった
前回、「教師を襲う病魔」を掲載した。しかし、これは何も教師に限らない様だ。最近では、凜とした大人を見かけることがなくなってしまった。人生をレースの様に見なす人生観が、定年後も引きずっているからだろうか。これは、自分が「他人からどう評価されるか」が、とても気になる人生観である。しかし、定年後は、評価してくれる人がいない。自分の優位性が確認できない。そして、加齢。忍び寄る不安は想像に余りある。
「『定年後の新しい環境』に適応出来ない人達は、自分の存在意義を示すため『自分は勝っている、自分には能力がある、自分はこいつ等とは違う』と他者を貶め、力に執着することで不安から逃れようとしている」(著者:河合薫「他人をバカにしたがる男たち」参照)。
他人の評価に頼って生きる人にとって何が辛いって、人から批判され、バカにされることほど辛いものはない。その為、虚栄心、見栄が強まり、挙げ句の果て「劣等感」が生じるということになる。そこで、その不安や空虚さを補うために、自分が如何に値打ちのある人間かを、常に確認しなければならない羽目になる。以下は、ことごとく自尊心を守る為の行為と言えよう。
・社会にある数々の組織。とにかく役員になりたい。役員になること自体が目的という「教師を襲う病魔」と全く同じ構造。
・一度入賞した作品を再度出展する。
・虚栄心、見栄を満たす為には、公私混同も厭わない。
・虚言癖。
・自らのプライドを維持する為、他者のプライドを認めない。
・他人を中傷誹謗し貶めることで、自分を支える。
等々枚挙に遑がない。ところが、これが民主主義に影を落とすことになるのだ。そもそも、民主主義は国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することが出来るから進歩するのだ。
反面、他人の目を気にすることなく生きてきた人達、つまり、「自分が自分であって大丈夫」という人生観で生きてきた人達は、穏やかな自信やしなやかさを感じさせてくれる。とにかく、凜としているのだ。とても魅力的だ。青い空に雲がポッカリ浮かぶ。こんな風景を想起させてくれる。「個にして弧ならず」。そんな感じさえする。
【参考文献】
河合薫著「他人をバカにしたがる男たち」(日経プレミアシリーズ)
高垣忠一郎著「生きることと自己肯定感」(新日本出版社)
以 上