子どもを追い込んでいることに気付かない親達

  子どもは、色んな思いや考えを持って生きている。この視点に立てるか否か。これが、子どもの問題に向き合う出発点である。親であれば、誰もが願う健やかな子どもの成長。その為に欠かせないのが、親の「自己肯定感」の発見である。
  「子どもは受け入れて貰ったことを感じることで、初めて優しい気持ちや生きる力が生まれる」。私は、この言葉に得心である。子どもが、健やかに成長する格言を言い表していると考えるからだ。
  この構造は、「自分が自分で大丈夫」という自己肯定感を育む。その結果、受容の幅を広げ、些細なことでくじけない、心の強い人間を育むと考えられる。
  また、「自分が自分で大丈夫」ということをお互い認め合うことは、憲法が保障する「個人の尊厳」(13条前段)そのものである。義務教育の学校経営方針に強調されているところでもある。
  しかし、家庭において、学校において、実態はどうだろうか。かなり疑問である。大人自身が「自分が自分で大丈夫」という「自己肯定感」の発見に程遠いと感じられるからだ。つまり、経済的に豊かになる生き方に囚われ、受け身の人生観が蔓延していると映るからだ。
  その結果、子どもは色んな思いや考えを持って生きている主体である、という視点を見失っているのでは。子どもの悩みを共有するなど皆無に等しい。「脅し」を絡めて「あぁしなさい」「こうしなさい」と指示の連発。「あれはダメ」「これはダメ」と否定語の多用。これは、「子どものため」という仮面をかぶり、自分の不安から逃げているに過ぎない。そして、厄介なのは子どもを追い込んでいる、という認識が無いことだ。これでは、子どもに「自己否定感」が育まれるだけである。そのツケは、子どもの問題として現れてくるということを想像出来ているのだろうか。親、子どもにとっては勿論のこと、社会にとって大きな損失である。
  まず、子どもを受け入れることだ。良い行い、良い成績が信頼を生むのではなく、子どもに対する信頼が先行である。つまり、無償の愛を先行させることである。この構造を作れるかどうか、子どもの一生に多大な影響を与えることになろう。そして、親の老後の生活にも大きな影響を与えることだろう。その為には、親の「自己肯定感」は欠かせない。
  子どもを追い込んではならない。今、居場所を探す子ども達が激増しているという。無償の愛に育まれた子どもは、優しく心が強い。

                                                                                 以 上