いじめ土壌を肥やす麻痺した人権感覚

 いじめが生じやすい土壌。常に土壌改良に取り組まなければ、いじめの根絶は難しい。
 今、深刻なのは攻撃的な子どもが増えていることだ。つまり、いじめ加害者の予備軍である。子ども達が自信を失っているのだ。保護者、教員の良き聴き手は子どもの自信に大きな影響を与えることだろう。ものをいうのが「想像力」である、その際、教員の「笑顔」と「愛情」は大きな力になることだろう。
  また、一人一人違って当たり前という土壌を学校現場に肥やさなければならない。「自分は自分でいいんだ」ということをお互い認め合う光景である。これは、憲法13条前段「すべて国民は個人として尊重される」の法意である。
  「受け身」の人生観、人権侵害はとかく死角に入りがちだ。とすれば、学校に課せられている「安全配慮義務」に対する意識も希薄になろう。待ち構えているのは「隠蔽」という保身壁だ。この悪循環を断ち切れるか。いじめ問題の鍵を握る。
  そんな思いでシンポジウム「子どものいじめ自殺事件から『学校』を考える」に参加した。期待外れであった。報告者の事実を踏まえ、いじめ問題に取り組む視点が乏しかった。つまり、「考える」部分が欠落していたのだ。若干の発言を試みたが止めた。
  報告者4名から浮かび上がったのは教員の麻痺した人権感覚である。知らず知らずのうちに、いじめの土壌を肥やしていることに気付かない教師像である。被害者は学校に長時間滞在する子ども達である。
  主催者は元、現教員の人達。参加者の多くも同様だ。つまり、いじめが生じる職場の人間である。彼等は、一体シンポジウムで何を考えようとしたのか。最後まで分からなかった。
   「子どもは受け入れて貰ったことを感じることで、初めて優しい気持ちや生きる力が生まれる」。私は、この言葉に得心である。教職員の朝礼で暗唱を勧めたい。

                                                                                 以 上