希望を奪う希望の党

  コイケのファッションと言動は見飽きた。時間が経つにつれ、化粧で見えなかった顔が見えてきたのだ。強権的体質がギラギラと滲み出た顔だ。そして、国民を、いや、人間を舐めた物言いは一体何処で身に付けたのか。都知事選、都議会選の圧勝ですっかり舞い上がってしまったか。男性では、中々お目にかかれないタイプだ。化粧とファッションは好みの問題だとしても、知性、理性、合理性に価値を置かない、権謀術数に長けた唯の策士にしか見えない。虚勢を張った言動に哀れみさえ感じる。とても見苦しい。
  「アベ一強」を倒す。そして、情報公開の徹底、柵のない、寛容な政治を目指すという。ならば、まず自らが実践しなければならない。ところが、やっていることは真逆である。斜めに傾けた顔と含み笑いのスタイルは嫌悪感さえ感じる。
  しかも、倒しても更に右寄りの過激で強権的な者が現れるのであれば、名前が変わるだけである。これは、民主主義が予定する政治構造ではない。
  希望の党へ駆け込んだ、あるいは選挙後に駆け込もうとしている民進党所属の前国会議員。コイケの歴史観、憲法観、強権的な政治姿勢は分かっていたはずだ。それでも政治信条を捨て、支援者を裏切り、なりふり構わず希望の党へ駆け込んだのはなぜか。その無節操ぶりに目を覆うばかりだ。
  アベのウソは分かり易い。しかし、コイケのウソは分かりにくい。化粧とファッション、そして斜めに傾けた顔と含み笑いに包まれているからだ。ウソのアベは支持できない。コイケの人間性は信頼できない。
  今や希望の党は、コイケの野望の党へと変質してしまった。「過去に目閉ざすものは現在も盲目である」。そんな面々の集団が野望の党へと変質するのには、そんなに時間を要しないだろう。「緑のタスキ」が「緑のタヌキ」か。投票を待たず「小池ファースト劇場」もいよいよ終幕に近づいた。 
  今回の衆院選、日本の未来を占う重要なポイントが潜んでいる。有権者が「受け身の」人生観から脱却できるか。節操の維持できるか。ウソを見抜く力と想像力。そして、イメージ選挙からの脱却だ。
  候補者のウソをチェック、イメージに惑わされず、一票を投じるつもりだ。

                                                                                 以 上