群れの怖さ

  「個にして弧ならず」。憲法研究者樋口陽一さんが、憲法研究者奥平康弘さんを悼み述べたものだ。

  確かに、人は一人では生きてゆけない。孤立は怖い。「個にして弧ならず」等という生き方を出来る人は恐らく少数派だろう。
  しかし、映画監督・作家森達也が「『9条俳句』市民応援団ニュースレター・号外」で「アイヒマンと加計と森友」と題して群れの習性を分析、次の様な主旨のことを記している。

  群れは組織だ。人は周囲に併せて走り続ける。群れは徐々に加速する。孤立は怖い、一人になりたくない。そして、同調圧力が強まり、忖度がはびこる。やがて群れは暴走。大きな過ちを犯す。
  特に、日本人は集団と相性がいい。言い換えれば、集団化しやすい。個が弱い。組織に摩擦なく従属してしまう。こうして同じ過ちを何度も繰り返す、と。
  アイヒマンの誕生は決して特異な現象ではない。群れる本能を保持してしまった人類は、誰もがアイヒマンになる可能性を持っている、と指摘。

  日本人の集団性について、 飛岡健著「物の見方・考え方・表し方」の中に次の様な示唆に富む記述がある。「狩猟民族は獲物がなくなれば主体的に移動せざるを得ない。農耕民族にとってその収穫は、自らの意思ではなくお天道様次第である。この食糧獲得方法の違いが人間の思考方法、考え方を大きく変えてしまう」。
  その影響の現れとも言えるものは、枚挙に遑がない。皆さんがそうしています。波風を立てない。年甲斐もなく。検証を嫌う。同調圧力。そして、組織内における忖度。日本人の集団性の底流に食糧獲得方法があるのが分かる。
  数百万のユダヤ人を強制収容所に移送する最高責任者である「アイヒマン」。裁判で責任を問われるたび、「私は指示に従っただけだ」と繰り返す。群れの弊害を象徴するかの様だ。加計・森友問題。記録がない、記憶にない。醜態をさらけ出す官僚達。しかし、彼等は栄転する。指示と忖度の違いはあれによく似た構造だ。
  群れの中では、「個」は埋没「思考停止」に陥りやすい。そして、「群れ」は、自分の立ち位置を維持するため、「排除の倫理」が風を切って歩きだす。その際の常套語は「あの人は変わっている」である。日本人はこの言葉に滅法弱い。これは、個人主義の徹底した国々との特徴的違いだ。文科省OB加戸守行前愛媛県知事の前文科省事務次官前川氏に対する執拗な人格攻撃はその最たるものだ。
  「孤立」は、孤立しやすい人を狙う。「個の確立」の弱い人が狙われやすい。いじめの構造によく似ている。「個」を鍛え、人格的自律を目指す者には孤立はそばに寄ってこない。
  「個にして弧ならず」である。「一人一人の力は微力だが無力ではない」。この言葉を胸に、怠惰、臆病、自己保身という人間の弱さと対峙していくつもりだ。

                                                                                  以 上