日本の悲劇 〜普遍的なモノサシを持たない国民〜

  「加計学園」の獣医学部新設計画がなぜ国会閉会中審査をしなければならない程重要なのか。まず、次の判決をご覧下さい。これは、アメリカ合衆国連邦裁判所の判決の一部である(司法試験短答試験問題集より)
  「権利章典の大部分の規定が手続を定めたものであることは、重大な意味がある。法による支配と恣意による支配との差違をもたらすものは手続である。厳格な手続保障を固守することこそ法の下において、平等の正義が行われることを保障する主要なものである」。
  安倍総理大臣自身が疑われているのだ。現場から「行政が歪められた」と指摘されたのだ。それを良しとしないのであれば、報告を受けるのではなく、総理自身が担当者に直接確認すれば済む話ではないか。膨大な費用を使い、核心部分をことごとく国会に委ねる姿勢。さらには、官僚達の記録がない、記憶にない、を追認するかの様な総理の姿勢。一般国民とは、知性、理性、合理性という感覚が全く違う様だ。
  一方、優秀と言われる官僚達。一流の大学を出、高級な報酬を得ている面々。躊躇する姿のひとかけらも感じさせない、記録がない、記憶にない。なぜ、この様な醜態をさらけ出す結果になったのか。普遍的なモノサシを持ち合わせていない悲劇か。これは、一般国民を含めて未来の日本を占う大きなポイントとなろう。
  本件から傍流だが、際だったのが文科省OB加戸氏の前川氏に対する執拗な人格攻撃である。これは、相手の人格を攻撃することで、自分の主張の正当性を維持しようとする常套手段である。自らの主張の正当性を何一つ語らない姿はとても見苦しく哀れみさえ感じた。行政の透明性を妨げてきた元祖を見た思いだ。
  この様な国の状況は外国の国々には、どの様に映っているのか。特に、拉致問題の相手方である北朝鮮にはどうだろうか。

                                                                                  以 上