ふにゃふにゃになった日本人

  「ふにゃふにゃになった日本人」。これは、作家マーク寿子の著作のタイトルである。底流を流れるのは「自分のことと自分の子どものことしか考えない」国民である。つまり「普遍的」なモノサシを持たない国民である。これにぴったりの光景が次々と繰り広げられている。これは日本の悲劇である。
  安倍政権は支持しないが、自民党は支持する。なぜ、この様な訳の分からない結果になるのか。自民党の賛成がなければ強行採決も暴走も何一つ出来ないのだ。
  毎日の様に報道される加計学園問題。国会へ登場してきた面々にも良く当てはまる。過去を検証し将来を憂いる前川氏。自分のことしか考えない安倍氏を初めとする他の登場人物。中でも際だったのは、文科省OB加戸守行前愛媛県知事である。前川氏に対し、執拗に繰り返す人格攻撃は悪しき日本人の象徴と映る。自分の主張を根拠づけて説明出来ない姿に老害さえ感じ、哀れみを感じた。
  今問われているのは、安倍ではない。私達の「普遍的」なモノサシである。

                                                                                  以 上