日本国憲法施行70周年に思う
〜自民党総裁兼内閣総理大臣安倍の違憲性と異常さが際立つ〜
思うに、憲法改正は憲法制定権者である国民が主導してからで十分である。自民党総裁兼内閣総理大臣安倍が「みっともない憲法」と評し改憲を訴える姿、違憲性と異常さが際立つ。人類英知の結晶に加え、我が国は世界唯一の被爆国である。これが世界に類を見ない個人に優しい憲法が誕生した理由である。みっともないのは憲法ではない。安倍自身の世界における憲法歴史の無知さである。
現憲法を「みっともない憲法」と評する人に憲法改正を任せる訳にはいかない。しかも、人権保障を切り下げる方向で、権力に対し縛りを緩める方向で憲法改正するなど、先進国では聞いたことがない。加えて、違憲状態の国会である。その国会に憲法改正発議を迫る内閣総理大臣兼自民党総裁。何か呪いにかけられた様な狂気さえ感じる。しかも、彼が目論んでいるのは憲法改正ではない。憲法制定である。これは憲法99条(憲法改正手続)が予定するところではない。
ところが、若者や大学生に憲法改正を支持する声が強まっているというのだ。「個」が埋没、「考える力」が奪われてしまったか。憲法改正、国民が今より幸せに暮らせる様になるのか、誰が何のために改憲をしたがっているのか、等を考えてのことだろうか。そもそも彼等は現憲法を読んだことがあるのだろうか。そして、自民党憲法改正草案を読んだことがあるのだろうか。はなはだ疑問だ。北朝鮮の脅威論に煽られていないか。改正イコール改善と幻想を抱いていないか。中でも、学びの先端に位置する大学生。将来の検証に耐えられるよう責任と義務がある。
ところで、現憲法を「みっともない憲法」と評する安倍晋三。一体、どの様な人物なのだろうか。私には、自己愛が強く、その裏返しとしての劣等感からの呪縛から解き放されていない幼児的人物と映る。人格的自律の弱い人は自分に対する評価がとても気になる。批判をする人を憎悪する行為はその典型例である。
高千穂大教授五野井郁夫氏は憲法記念日に次の様に述べている。「そもそも憲法とは希求すべき理想を定めるものだ。理想に向かって現実を変えるべき努力をするのが政治である。他方で、現実の方に合わせて理想を引き下げるのは政治努力の放棄に他ならず、単に怠惰なだけだ」。
世界に類を見ない日本国憲法、危機に晒してはならない。国民一人一人が、後世の人達の検証に耐えられる様にすることは主権者の責任であり、義務である。
以 上