鴨池氏の証人喚問テレビに釘付け
2017年3月24日、とても綺麗な朝である。ほとんど雪がない住宅街。夜中にうっすらと雪が降り、銀世界となっていた。そんな朝に相応しい、新聞報道の見出しが躍っていた。「昭恵夫人から100万円」「鴨池氏、証人喚問で詳述」「国有地 夫人付き職員間よ」「首相、一層の説明責任」。
以下は、証人喚問を観た感想である。
痛感したのは、政権側はいかに真相解明を恐れているかということだ。そして、過去に見たこともない、政府職員を通じ、あるいは同行しての総理夫人の行動。更に、鴨池氏の証言態度である。
まず、政権側の喚問は真相の解明ではなく、鴨池氏の人格、信頼性をあぶり出し、行政側の隠蔽体質を正当化する手段にしていたことだ。しかし、姑息な手法はかえって隠蔽体質を浮き彫りにした。そして、選ばれた人間(国会議員)が主権者に対し、「脅し」をかける様な場面に接し、その感を強くした。
次に、総理夫人の振る舞いの軽さである。舞い上がっている様にも映る姿は、伝統的「夫人」とはかなり異なる。そんな中浮上した「100万円寄付」疑惑。首相は、「事実と反する」と主張するのみである。総理夫人が渡してもいないのに、鴨池氏は「寄付を貰った」と主張しているのだ。これにはいくつかの疑問点が浮かぶ。
・総理夫人の名誉が著しく傷つけられたのに、何ら反転に出ない不思議さ。
・司法の場ではいざ知らず、立法の場で金科玉条のごとく繰り返す「悪魔の証明」。悪魔の証明は、全くないことを証明することは不可能に近
いのであって、「全くないのは確実」であるという意味ではない。
・鴨池氏を証人喚問に呼び、他方の当事者を証人喚問に呼ばない不公平感。
総理の口癖である「国民の生命、財産を守るのが氏名である」。証人喚問を見る限りその言葉の軽さを知った。
最後に、鴨池氏の証言態度。私は、思想・信条、それに伴う行動は真逆である。が、現憲法を守る立場からとても教訓になった。
以 上