民主主義を装い民主主義を破壊


 今、組織と名の付く場所はどこもかしこも「排除の論理」が吹き荒れているようだ。ただ、「排除の論理」は急に浮上してきた訳ではない。では、何故今「排除の論理」が厚顔無恥に吹き荒れているのか。
  元々、民主的基盤の弱い土壌に人間の劣化、つまり自立心の弱い人間の繁殖とが相まって醸成されたものと見る。自立心の醸成されていない人は、どうしても自分に対する評価が気になる。その評価を維持するために、虚栄心、見栄が強くなる。それに振り回されるとどうしても「劣等感」が生じやすい。そこで、他人を批判・排除することで自分を支えようとする。その構造が所狭しとして繁殖しているのだ。
  加えて、私達は民主主義の構造を学校教育で教わることがなかった。その点は、現在も変わっていないだろう。その影響が噴出したのだ。議論・討論は民主主義の前提である。目的は最良の結論を得るためである。ところが、いつの間にか多数決が目的化してしまい、徒党を企む輩は民主主義を装い、少数意見・異論を排除する。民主主義の履き違えが、この段になってどっと噴出したのだ。その背景には、多数決で決めたことは「正しい」、と「錯覚」している節があるようだ。
  そして、さらなる心配は書く・読むに比べ、話す・聴く力が音を立てて衰えている点だ。教育改革を急がねば民主主義は崩壊する。議論・討論は民主主義の前提であるからだ。
  「排除の論理」が吹き荒れているのは、民主主義劣化の証である。これは、人権保障の後退を意味する。

                                                                               以 上