理性が感情に埋没する危険な時代


 人間は理性の動物である。この言葉は死語になってしまったか。感情が政治や世論に決定的な影響を与えている社会状況が国内外に広がっている。米大統領選挙のトランプ当選、英国のEU離脱をめぐる国民投票。国内に目を転じれば、障がい者大量殺人、福島原発事故から避難した子ども達に対する陰湿・卑怯ないじめ。理性が感情に埋没する例は枚挙に暇がない。
  国内では、小泉政権誕生の時にその前兆はあった。その流れは前大阪市長、現東京都知事へと受け継がれ、安倍政権を支える大きなエネルギーとなっている。感情的な主張はインパクトが強い。霧に覆われた様な社会状況。加えてネット社会。その水脈は更に強まるに違いない。しかも、世界的傾向とあれば、私達はしっかり覚悟しておく必要がある。
  感情的主張は、想像力を不要、理想、論理より数がものをいう世界である。ネット社会にはもってこいの環境なのだ。そして、排除の発想が跋扈、自分が体験したことしか理解出来ない構造を作る。これでは動物と同じである。寛容性、多様性等は駆逐され、遠景は弱肉強食の社会である。
  私達は、過去からしか学べない。その学びを放棄、感情を優先させる。では何の為に。諦めや絶望に追いやられれば、理性が感情に埋没、感情が剥き出しになるのは必然であろう。例えば、安倍政権に盾突く者には、すぐに「反日」のレッテルを貼って、徹底的に罵倒するというある種の熱狂する輩。権力を批判する人々を批判することで権力と一体になった幻想を抱き、感情を満たす。癒やしを求めているのだ。彼等の行動からはその様に映る。しかし、民主主義を破壊、そのツケが自分に跳ね返ってくるなど想像もしていないのだ。とても危険な時代になった。
  今、私達がしなければならないのは改憲の議論をすることではない。まず、理性を取り戻すことである。そして、憲法を生かす熟議を加速させることである。 
  「良きことはカタツムリの速度で動く」(ガンジー)。一人一人が論理や理性を取り戻すしかない。「一人一人の力は微力だが無力ではない」(ドイツ文学翻訳家・池田香代子)。

                                                                               以 上