青森県体育施設の運用とスポーツ基本法
以下は、青森県教育長へ提出した「青森県体育施設の運用に関する要望書」に補筆したものである。
ナルイ様
平素より、当施設を御利用頂きありがとうございます。
さて、1月分のメインアリーナウオーキングコース予定表を送付致します。
なお、公共施設の管理者として、ナルイ様だけにこの様なサービスをすることは、他の利用者の方々に誤解を与えることに繋がると考えますので、今後につきましては、公正・公平の立場から、事前に確認して頂くか、毎月25日には翌月の予定表を総合受付前に置いておりますので、ご確認下さるようお願い申し上げます。
今後とも、当施設の御利用をお待ちしております。
平成29年1月9日
新青森県総合運動公園指定管理者
スポルト青い森グループ 公園長
これは、ウォーキングコース予定表をFAX依頼した際に付記されていた文書である。
まず、この文面を読んで感じたのは、指定管理者は「スポーツ基本法」を読んだことがない。か、読んでも理解が出来ていないということである。
では、この文面の何が問題なのか。@「公共施設の管理者として」。A「ナルイ様だけにこの様なサービスをすることは、他の利用者の方々に誤解を与えることに繋がると考えます」。B「公正・公平の立場から」の三点である。
@「公共施設の管理者として」
管理者の意識が強く働き、公共施設の果たす役割の意識が後退していることである。管理は、あくまでも公共施設の果たす役割の為の管理であることを忘れてはならない。管理が先にきて役割が没却されては本末転倒である。発想の逆転が透けて見える。
A「ナルイ様だけにこの様なサービスをすることは、他の利用者の方々に誤解を与えることに繋がると考えます」。
これは、行政側がことを否定する際に使う常套語である。今では懐かしい。ところで、なぜ私にだけFAXしたのか。不思議である。確かに、FAX送信要請の中で私にだけFAX送信したのであれば、公正・公平に反する可能性はある。しかし、そのことが利用者への機会均等を確保するのに資するのであれば、スポーツ基本法にいう「公正な環境の下で」と評価できる。
B「公正・公平の立場から」
本件の問題の核心はこの言葉に秘められていると考える。つまり、管理者側からの視点で公正・公平という言葉を使用していることだ。施設の公共性に鑑みれば、公正・公平は利用者側からの視点で使うべきである。つまり、利用者への機会均等を確保する為に公正・公平という発想が大事になる。例えば、老若男女、障害の有無、通信機器取扱の程度などを総合的に考慮し、利用者への機会均等を確保することが重要なのである。行政がサービス業である視点が完全に欠落している。
スポーツ基本法前文は次の様に規定する。「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適正などに応じて安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、またはスポーツを支える活動に参画することの出来る機会が確保されなければならない」。
また、12条に「利用者の需要に応じたスポーツ施設の運用の改善に努めなければならない」と規定する。
公共体育施設の設置はスポーツ基本法の精神の具体化である。時代は刻々と変化を加速している。スポーツの世界も例外ではない。特にトップレベルの指導者像の変化は著しい。つまり、「個」を鍛え「集団」を強くする、という発想だ。これは個人主義の考え方をスポーツの世界に普及させるものだ。これは公共体育施設の運用にも通じる。
国体開催を控え、指定管理者の発想の転換が急がれる。なぜ、この様な対応になったのか。まず、しっかり検証することである。重要なのは、「施設を使わせる」ではなく「施設を使って貰う」という発想だ。しかし、これは言うほど簡単ではない。日々の学習が求められる。同法の前文はとても格調が高い。朝礼での暗唱を勧めたい。県行政のより一層の努力を期待する。
以 上