助けてくれる人は一人もいなかった
子ども権利条約・子ども権利条例がいかに機能していないか、如実に現すいじめに伴う中学1,2年生の自殺。自分の人格や存在そのものを否定されたと感じることは大人でも辛い。これを乗り越えられる人はよほど「個」を鍛えた人達だ。
苛めはなくならない。最近、私は確信を持つようになった。苛めは加害者に心の癒やしを与えてくれるからだ。子どもは大人の鏡である。そして、子どもの環境は激変。子ども達が孤立に追い込まれる環境は十分である。癒やしが欲しいのは大人も子どもも変わりはない。だから、苛めを防ぐことは難しいのだ。しかし、子ども達の自殺をなんとしても防がなければならない。生きた時間が余りにも短すぎる。これは大人達の責任である。
私は苛め対策として、学校教育の構造的改革が必要と考えている。@教職員、青少年育成団体に係わる人達の人権意識の底上げを図る。A集団主義的教育方針を薄め「個」を強める教育に方向転換を図る。
・教職員、青少年育成団体に関わる人達の人権意識の底上げを図る。
驚くのは、教育及び青少年育成団体に関わる人達の人権意識の弱さである。いつの間にか、生きるために学習する場所が精神ないし生命が脅かされる場所に変わってしまった感さえするからだ。彼等は、人権侵害されたことのない人が殆どであろう。とすると、人権侵害された場合を考えることは、想像の世界のことになる。つまり、人権は想像力がものをいう世界なのだ。そして、憲法は「全て国民は個人として尊重される」と規定する(13条前段)。人権を考える場合は「個別具体的」に考えることがとても大事なことになる。つまり、人権は「数」に馴染まないのだ。確かに、苛められやすい人間が存在する限り苛めを防ぐことは難しいかもしれない。しかし、学校現場に人権意識が高まれば、苛めの早期発見、早期治療に効果的であることは間違いない。しかも、自殺などの取り返しのつかない事態は避けられるはずだ。
・集団主義的教育方針を薄め「個」を強める教育に方向転換を図る。
他人からいいように扱われる人は、優しくて弱いという指摘がある。つまり、自立心の弱い人間だ。彼等は、他人に合わせて人間関係の諸問題を解決しようとする。相手の言いなりになっていれば何とかなると期待する心と態度。これは、苛める側にとっては格好の獲物である。しかも、心は目に見えない。だから誰も守ってくれないのだ。
キーワードは「自立心」の醸成である。他人に合わせるのではなく、自分で考え行動する。その結果については責任を取る、という構造だ。空気を読むのではなく、空気をつくる人間。自分は自分でいいんだ、という主体性。理不尽なことに果敢に立ち向かう勇猛心。そして、優しさと弱さを履き違えしてはならない。優しさは強い人間にして初めて出来るということだ。
しかし、「自立心」を受験学力で身に付けることは難しい。違いを認め合う学校風土。自立心を涵養する教育風土。そして、教員、青少年育成に関わる人達の人権侵害に対する想像力。これらが一体となって醸成されるものである。
確かに、これらの構造は一朝一夕では出来ないだろう。しかし、一刻の猶予も許されない。行政及び関係団体の迅速かつ適切な行動を期待したい。
夢も希望もあったはずだ。14,15歳の子どもが自ら命を絶つ。助けてくれる人は一人もいなかった。絶望の淵に追い込まれていく心境は想像を絶する。どんなに淋しく辛かったことか。大人の責任は重い。
最後に、不思議なのは自殺する以前に、学校に対する安全配慮義務違反、加害者生徒に対する刑事告訴や損害賠償請求等、法的な責任の追及がなされた、と聞くことがないことだ。
【参考文献】
加藤締三著:「いじめに負けない心理学」
以 上