ポピュリズム選挙の怖さ

  元首相小泉以降ポピュリズム選挙が続いている。直近では都知事選が見事に花を咲かせた。選挙が民意の反映ではなく、感情の反映になっているのだ。
  民主主義を支える批判精神の劣化は、目を覆うばかりだ。家庭、学校は以前より従順さを求め個性を潰す。そして、解答が決まっている受験学力は批判精神、想像力とは無縁の世界だ。加えて、国民の自由度が狭くなり、漂う閉塞感。思考不要の楽な方へ流れるのは自然なのかもしれない。そこへメディアも合流、ポピュリズム選挙の土壌は肥えるばかりだ。闘う相手は、権力者ではなく、「無知・無関心」である。
  何か有効な手段はないものか。難しい。「無知・無関心」の背景を除去してあげなければ改善は難しいと思うからだ。そこで考えられるのが、教育の力である。しかし、国民の為ではなく、国家の為に政治をする権力者がやる筈もない。結局、国民の学習、つまり想像力を磨くしかない。為政者にとってタガは不要になることを、憲法破壊者が臆面もなく「法の支配」を語るようになることを、ポピュリズム選挙の怖さを、想像する力だ。
  しかし、個人では難しい。そこで集会する空間作りが大事かと思っている。固まった考え方の人の集会ではなく、また来たいと思わせる空間だ。出会いの空間だ。「無知・無関心」という闘う手段について、専門家の知恵を借りたい。

                                                                               以 上