マウンティングをしているのではないか

  「自分を負け組にしないためには、もっと『負けている』人を作らなくてはいけない。そして、その人達に対して上から目線で、糺す物言いをして、上であるというマウンティングをしているのではないでしょうか。」(「マガジン9:http://www.magazine9.jp/」より)
  「マウンティング」という言葉を初めて知った。辞書によれば、相手より自分が優位であることを示す、とある。
  まず思ったのは、疲れないだろうか、である。虚勢を張って生きているわけだから。しかも、他人に悟られないだろうか、と常に気にしていなければならない。他者と比較する。他人の評価が気になる。負けず嫌い(他者に対して)。見栄っ張り。この点、自立心を確立している人には殆ど無縁の言葉である。常に自分と葛藤している為、他人と比較する暇など無いのだ。
  ところで、これは今に始まったことではない。ただ、以前に比べこの傾向が強まっている様に思う。しかも、老若男女問わないようだ。そして、これは「いじめ」の源泉かもしれない。また、自分の存在価値を国家と一体なものとして見出そうとするのも底流は同じか。とにかく、凜とした大人を見かけなくなってしまった。
  主な要因は「自立心」弱さにあると考えている。そして、そのことが一段と進んでいるようだ。以下は、私のメモ(出典不詳)から引用したものである。

  依存心の強い人(独立心の弱い人)。
         ↓
  自分に対する他の評価が気になる。
         ↓
  他人の評価に頼って生きる人にとっては、人からバカにされることほど辛いことはない。
         ↓
  したがって、虚栄心・見栄が強くなる
         ↓
  虚栄心・見栄には限界はなく、したがって、それに振り回されることになる。
         ↓
  そこで、劣等感が生じることになる。
         ↓
  劣等感が強まると、あることないこと他人を批判することによって、自分を支えようとする。
         ↓
  精神的に未熟児なのである。大人になっていないのである。大人とは、自分で自分を律し、評価してゆくという独立心を持った人をいう。

  私は、「独立心」を「自立心」に読み替えて教訓にしていた。問題は、自立心の醸成である。その為に欠かせないのが「自信」である。確かに、現在の社会環境は人間から自信を奪い取っている。しかし、環境の奴隷になっては、幸せな人生は遠のくばかりである。そこで、私は「自信」を身に付けるには教訓と感動の繰り返しが効果的と考えている。つまり、失敗して教訓。上手くいって感動。この繰り返しである。「自立心」の醸成、今の学校教育に最も欠けている点であると見る。これは、学力テストでは図れない。受験学力で身に付く物でもない。

                                                                               以 上