一体、選挙ってなんだろう
民主主義制度を導入して70年余、民意を選挙という手段を使って表す行為が沖縄県を除いて未だに浸透していない。参院選、都知事選を見てそんな思いを強くした。ところが、その沖縄県、せっかく表した民意は国の圧政によって蹴散らされてしまうのだ。結局、オールジャパンが選挙の体をなしていないことになる。
相も変わらず、投票基準が民意ではなく、情緒を選択する国民性。いかに主権者教育が怠慢であったか、その証でもある。それが、18歳選挙権付与された今日も何も変わろうとしない。このことが端的に現れたのは参院選、都知事選である。この様な傾向は小泉政権以降顕著になってきたと見ている。
とすれば、ポピュリズムの萌芽は開花、民主主義は終末期を迎えていると言える。登場するのは新たな制度である全体主義、独裁政治という代物だ。全ては国民の一票で、民主主義制度を維持しながら実現することが出来るのだ。これはがんの病気によく似ているではないか。癌細胞は他の細胞を全滅させ、最後は自身も死を迎える。
そこで、大事なのは「なぜ」の問いかけだ。選挙の投票基準がなぜ「情緒」なのか。主因は国民が自信を失っていることだ。厳しい生活を余儀なくされている多くの若者、国全体を覆う閉塞感、年齢差別に耐えているシニア層。戸惑い、為す術もなく立ちすくんでいると映る。思考することを避け、楽な方向へ流されやすいのは当たり前の話かも知れない。この心理を巧みに利用したのが、人類まれに見るユダヤ人600万人を虐殺したヒトラーである。この前の話だ。
よって、国民に「自信」を。我々は、権力者側が好まないテーマに挑まなければならない。民主主義を維持発展させる為には避けられないテーマである。
それでは、「自信」を身に付ける為にはどうしたらよいのだろうか。私は、講演で次の様に強調している。教訓と感動の繰り返しが「自信」を生む。つまり、失敗して教訓、上手くいって感動。これは個人主義的発想から生まれるものだ。したがって、まず集団主義的発想からの脱却を図ることだ。空気を読むとか、合わせスタイルとは逆方向である。「ボロを着てても心は錦」の心境だ。日本の社会風土の中では、まだまだ勇気がいる。しかし、不透明な時代、しかも長寿社会を生き抜く為にも欠かせない精神だと考えている。これは、金が無くても手に入れることが出来るが、残念なことに金があっても手に入らないのだ。
以 上