女性・孤軍奮闘の装いに酔いしれた都民
〜民意とは一体何だろう?〜

  難問山積している都政、女性初とか言っている場合ではないだろう。社会的性差の根強さ、そして、見逃せない「孤軍奮闘」というフレーズ。都民がこの両面に酔いしれた都知事選であった。
  これを女性候補の戦略が功を奏したと報じるマスメディア。もう少し、民主主義制度の本質から検証できないものか。女性候補者は手続きを経た結果、排除され、女一人の戦いになった訳ではない。つまり、孤軍奮闘を装った戦略が功を奏したのだ。更に言えば、ウソが功を奏したのだ。これでは、都民と一緒になってポピュリズムの土壌を肥やしているようなものだ。
  手続きは、法の下の平等の実現に重要な要素である。以下は、手続きの重要性を説いたアメリカ合衆国最高裁判所の判決の一部である。
 
  「権利章典(1689年)の大部分の規定が手続きを定めたものであることは、重大な意味がある。法の支配と恣意による支配との差違をもたらすものは手続きである。厳格な手続き的保障を固守することこそ法の下において平等の正義が行われることを保障する主要なものである。」

  都知事選の結果を見て「民意」とは一体何だろう、と考えさせられた。都知事選の民意と沖縄県知事選の民意とを比べてみた。前者が孤軍奮闘、後者が沖縄基地反対。投票の質が全く違うことが分かる。住む場所によってこんなにも違う民意。前者には具体的な評価がなく、あるのは情緒のみ。果たして、これを民意といえるのだろうか。これを民意と評するなら、一体有権者はどの様な民意を反映させたいというのだろうか。選ばれた以上「白紙委任」である、という言質を与える萌芽が見てとれる。
  手続きを踏んだ自民党都連会長はケジメをつけ、党規違反した女性候補者にケジメをつけれない自民党本部。手続きを重視しない政党に憲法改正など議論できるのだろうか。
  都民の民意。それを肯定的に伝えるマスメディア。国民が望まない風景に着実に近づいているようだ。しかも逆戻り出来ない風景だ。

                                                                               以 上