民主主義は終焉を迎えたか

  集団主義的思考が一段と進み、情が理を乗り越えた結果の参院選挙。時代の危機を迎え、なお消去法を使う国民性。これはとかく権力者側へなびきやすく、思考を不要とする為楽である。ブレーキ装備の無い事故続出の安倍バスにみんなで乗れば怖くないということだろうか。民主主義に欠かせない批判精神、その衰退は目を覆うばかりだ。
  そんな中、聴覚障害の子持ちであることをアピール、当選した母親がいた。これなどは、情が理を上回った典型例である。哀れみを施す発想にしがみつく姿勢は、平等な権利を勝ち取る為闘争する発想とは逆方向である。障がい者に失礼であるばかりか、有り難迷惑である。しかも、沖縄出身でありながら、全国で最も人権侵害が深刻な地元沖縄と向き合ったことがないと聞いて唖然とする。
  立憲主義放棄を謳い、人権保障を大きく後退させようとする自民党の中に身を置いて、一体何をしようというのか。その姿は見苦しい。そもそも憲法を読んだことがあるのかさえ疑問だ。
  民主主義は人権保障の手段である。そして、民主主義を機能させるには、理が情を乗り越える選挙結果でなくてはならない。そこで、伝統的投票行動にメスを入れることは不可避だ。理が情を抑え、消去法的選挙からの脱却を図らねば、民主主義は終焉を迎える。これは、国民が環境の奴隷になる始まりである。

                                                                               以 上