「理」が「情」を乗り越えられるか

  EUから離脱するか、残留するか。英国の国民投票を見て思った。離脱に投票した人達は「後悔」の念を抱いていると報じられている。感情が理性を乗り越えたと後悔しているというのだ。
  日本国で待ち構えている憲法改正に伴う国民投票。憲法改正に賛成の投票をした人達は、仮に「後悔」の念を抱いても感情が理性を乗り越えた、などとは言わない。みんなで決めたことだから「仕方が無い」で締める。この違いはどこから来るのだろうか。個人主義と集団主義の違いからだろうか。
  日本人の特徴として、とかく理より情を重視する傾向が強い。それは、選挙における投票行動も例外ではない。この構造は、参院選告示後の報道を見る限り何も変わっていない様だ。だとすれば、国民が権力を監視、批判、改善することが前提の民主主義制度は機能しない。つまり、日本は民主主義の体をなしていないのだ。
  これでは、土壌改良をしなければどんな種をまいても育たない。全ての生活は政治に関わる。この一歩から土壌改良を始めなければならない。「良きことはカタツムリの速度で動く」(ガンジー)。100年、いや1000年かかろうが始めなければならない。憂慮すべきは安倍暴走より、国民の政治に対するスタンスである。
  私は、政治の安定より憲法の安定を望む。政治は人の世界。憲法は法の世界。偽政者の間違いだらけは、歴史が教えているからだ。時代の分水嶺と言われる今夏の参院選。理が情を乗り越えることを願っている。

                                                                               以 上