高校入学試験廃止を
子ども達は長寿社会、しかも不確かな時代を生きていかなければならない。その為には、どの様な力を涵養しておくべきであろうか。凜として生きている高齢者を殆ど見かけることがないことから考えさせられる。
「背中を見るな。背中を見せろ」。これは、県春季陸上選手権の会場で見た某高の横断幕だ。部員に自立心の重要性を教示していると映った。つまり、言われたことをコツコツやるだけでは成長しない。自分で考え、納得しながら日々練習に励みなさい、と理解した。これは自己肯定感を醸成する重要なプロセスだ。
この標語が長寿社会、しかも不確かな時代の生き方に示唆を与えている様な気がするのだ。既述したプロセスを繰り返している限り、年を重ねるだけでは老いない。凜として生きられると考えられるからだ。
とすれば、鍵を握るのは、自己肯定感を発見、維持する力にある。ところが、56.4%の子ども達が「自分は役に立たない人間だ」と思うことがあるというのだ(2002年日本青少年研究所)。その傾向は年々強まっていないだろうか。私は、主たる要因は高校入学試験にあると見ている。
思春期真っ只中、高校受験の思いは後々まで引っ張るから問題は深刻である。しかも、わずか13,4歳という低年齢でやる気を失わせる装置である。
県内有数の進学校へランクする生徒、そうではない生徒。前者は優秀で頭が良いと思い、後者は頭が悪く役に立たない人間だと思う。しかし、その思いはどちらも間違っている。前者は、早晩学ぶ力を失い、後者は諦めの人生が始まる。
これは、本人にとっても社会にとっても大きな損失である。加えて心配なのは、保護者、学校が子ども達の心の痛みに寄り添う心の余裕を失っていることだ。そして、忘れてならないことは、自己否定感の繁殖は民主主義を破壊、国の骨格を変える力が潜んでいることだ。
今求められているのは、自ら問題提起をし、解決する力だ。これは、自己肯定感が前提になる。しかし、これらは受験学力で身に付く代物ではない。自己否定感を生む温床になっている高校入学試験。先進国で高校入試をやっているのはごく少数と聞く。廃止できないものだろうか。
以 上