放物線を描いて飛翔するロケットを見るようだ
〜何があっても内閣支持率が下がらない不思議さ〜

  国や権力は「批判」の対象である。そうでなければ、民主主義は成り立たない。ところが、今や国や権力が「信頼」の対象になっているのだ。権力者に依存する傾向を強めているのが、その証である。これでは、何があっても内閣支持率が下がる筈がない。
  戦後、主権者は天皇から国民に変わった。政治体制は封建主義から民主主義へ変わった。戦後70年も経過した。だが、民主主義の前提である「自立心」が涵養されていないのだ。家庭でも学校でも「自立心」より「集団」を重んじ、「従順」さを強化、評価してきたからだ。教育現場では、その傾向が一段と進んでいる様だ。運動会で披露する「組み体操」等は氷山の一角か。民主主義の崩壊、全体主義へ着々と進んでいる光景は、放物線を描いて飛翔するロケットを見るようだ。先端には、民主主義を破壊する装置と全体主義が装備されているのだ。その到達地点は宇宙ではない地上なのだ。
  しかも、現権力者はとても劣等感が強い人の様だ。予算委員会で質問者をやじったり、逆ギレするのはその証である。劣等感の強い人は、人からバカにされたり、否定されるほど辛いことはない。自分に対する他の評価がとても気になるからだ。だから、異論や少数者の意見を排除する傾向は一般人に比べ強い。
  主権者が権力者を信頼し、権力者の劣等感が強ければ、前記ロケットの発射は今年の国政選挙であろうと予測することは、そんなに難しいことではない。権力者が嫌うどこかの国と何やら似てきていないだろうか。
 
※ 全体主義とは
   個人主義に反対し、個人を超えた全体に価値の根拠認める主義。民主主義にも反対する絶対主義、独裁主義、国家主義、ファシズムと同義(法律学小辞典より)。国家というものが、全面的に国民を支配し、権力の思い通りに国民を操作し、動かしていく。

                                                                               以 上