民主主義を侵食する校訓「素直な心」


  日本国憲法は13条で個人の尊重を定める。人権保障が目的、平和主義、民主主義が手段。これが憲法の考え方だ。
  その民主主義が安保法案に反対する国会前抗議集会の模様を見て、民主主義の土壌が肥えたという見方が出ている。ところが、私の住んでいる周りからはその様な雰囲気は全く読み取れないのだ。
  そればかりか、日本を覆う同調圧力、思考停止状態を醸し出す空気が一段と強まり「沈黙する善良な市民」が繁殖する一方だ。
  そこで、私が注目したいのは、小・中学校の校訓として掲げる「素直な心」である。なぜなら「素直でない。素直だ」という、とかく同調圧力の武器に使われやすいからだ。
  そもそも、民主主義制度は一人一人の「主体性」が前提に成り立つ制度である。小・中学校の校訓として掲げる「素直な心」。「主体性」の前に立ちはだかっているとすれば、既に小学校就学時に民主主義の前提が浸食されていると言えよう。
  民主主義は国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することが出来るから進歩するものであろう。とすれば、大切なのは「素直な心」ではなく「主体性」、つまり「考える力」である。ところが、素直に育った子、従順に育てられた子ども達は「考える力」が中々身に付かない様だ。勿論、受験学力を高めて身に付く代物ではない。
  子ども達は不透明な時代、しかも長寿社会を生き延びなければならない。その為にも「考える力」の醸成は欠かせないと考えている。校訓の見直しを急がねばならない。

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