日本の世相を見事に表現 
〜ラグビー、ジョーンズヘッドコーチのコメント〜


  スポーツ観戦で最も好きなラグビー。2015ラグビーW杯はテレビの前に釘付けであった。勿論、日本の活躍は嬉しかった。ところが、さらに嬉しかったことがあった。それは、ビー・エディー・ジョーンズヘッドコーチの記者会見である。メディアを通じて伝わってきたのは、マインドセット(思考回路)を変えなければならない、と強調していたことだ。そして、「規律を守らせる為、従順にさせる為だけに練習をしている。それでは勝てない」という指摘だ。これは、後ろから頭を金槌で殴られた様な衝撃だ。同コーチは、民主主義の前提である「自立心」。人間活力の源である多様性認める精神。人との違いを受け入れる精神。つまりは憲法の価値を強調していた、と私には映った。
  圧巻は、子連れの心理トレーナーをロンドンに呼び寄せたことだ。個々の選手が最大限の力を発揮でいる環境を整える執念は見事としか言いようがない。これは日本人の発想ではない。特定の選手の為であったようだ。しかし、同コーチの行動が他の選手にどれだけの勇気を与えたことか。その勇気が、南アフリカ戦に現れたのだろう。最後の最後、同点を狙わず勝ちを選択したのだ。
  課題は、この勇気を日本の文化として継承、発展させることが出来るかだ。私はとても悲観的だ。そこへ同コーチと似た様なことを指摘していた古い記事が見つかった。「日本人は勇気がない」。指摘していたのはウィリー・バンクス。米国カリフォルニア生まれの34歳。三段跳び17メートル97の世界記録保持者だ。それも25年前の話だ。とすれば、ビー・エディー・ジョーンズヘッドコーチのコメントは現在まで何も変わっていないことを示唆している。これは、「自立心」を阻む社会風土の根深さを表す。
  和をもって美徳とする社会風土。幼少の頃から「従順」さを叩き込まれ、その度合いは、さらに強化されているのだ。つまり、伝統的に「パフォーマンス」を否定する方向を向いているのだ。「皆さんがそうしています」「波風を立てない」。「出る杭は打たれる」。「過ぎ去ったことを語っても過去は戻る訳ではない」と過去の検証を極端に嫌う国民性。過去から学ばず、未来を語る危うさ。諭す力の弱さを「素直」の言葉で覆い隠す風潮。加えて、最近では空気を作るのではなく、空気を読む、というのだ。これらは日本人の精神的特徴を表し、全て自立心を阻む言葉だ。枚挙に暇がない。その菌は、所、時期かまわず身の回りにはいつくばっている。そして「個」の弱い人間を狙い瞬時に「思考停止状態」に陥れるのだ。
  同コーチは、ラグビーで勝つより難しい課題を提示した。そこで求められるのは、主権者教育にも通ずる日本人の意識改革だ。自立心が芽生え、自信が醸成される構造だ。同調圧力から多様性認める精神への移行が出来るかだ。その為には、学校内の土壌改良を進めなければならない。「自立心」が育まれやすい土壌だ。その為には、自立心を阻む社会風土を学校内から徹底して駆逐することだ。その土壌改良が出来なければ、2015ラグビーW杯で培った勇気を日本の文化として継承、発展させるなど絵空事である。主権者教育とて同じことが言える。自分は同じ事を繰り返し、相手には変化を求める。この構造は既に通用しない。熱くなりやすく冷めやすい日本人の体質。勝敗のみに一喜一憂している様では意識改革など永久に出来ないだろう。

                                                                                   以 上