立憲主義の崩壊 〜国民主権にプライドを〜
私の叔父一家6名全員が青森大空襲の犠牲になった。私達は、防空壕から脱出し逃げたから助かった。空襲予告ビラを拾うことを禁じ、空襲からの避難を禁じた。バケツリレーや「火たたき」で消火活動の推奨。わら人形を竹槍で刺す訓練。国民より国家が優先、加えて無知の恐ろしさに驚くばかりだ。
敗戦後70年、今度は他国の攻撃なくして国の堤防が決壊。解釈改憲を断行、戦後築いてきた立憲主義・法の支配が崩壊、国民の権利自由を大きく後退させた。しかし、天災と違い被害は一気に押し寄せては来ない。気付いた時にはもう遅しというのが歴史上の教訓である。そして、とどめは立憲主義破壊を目指す明文改憲だ。自民党アベは、なぜ立憲主義破壊に固執するのか。先進諸国では聞いたことのない異常事態だ。
2001年8月15日NHKテレビ番組で戦後日本に滞在していた著名な米国人が次の様に述べた。「確かに日本は戦後表向きは大きく変わった様に見える。しかし、今でも積極的に一歩前へ踏み出して、これはおかしいと言おうとしない気質があります。日本にはブレーキをかけるメカニズムが欠けているのではないかと思います。それは悲劇的な欠点です。」
ところが、悲劇的欠点はさらに深刻だ。関心事は、出世、家族の幸せ、健康等の「自分」のみ。「世界」が「歴史」が、そして「社会」がという視点が消え去ってしまった。「思考停止」状態を自ら作り出し、他者からの排除を恐れ、いわゆる「沈黙する善良な市民」が繁殖してしまった。民主主義の前提である「批判精神」を醸成する土壌は痩せ、目を覆うばかりだ。
物事は未来からは学べない。過去からしか学べない。しかし、アベ総理は過去から学ばず、未来を語る。過去から学ばない者が未来を語ることは、短絡的で性急な思考が横行し、とても危険なことだ。さらに、国会ではヤジを飛ばし、足を組みふんぞり返る。驕りきった傲慢なアベ総理。何かに怯えている様に映るのは気のせいだろうか。臆病で自信の無い人間の仕草によく似ているのだ。憲法が見えない。主権者が見えない。歴史が見えない。でも、高い内閣支持率を維持しているのは何故だろうか。元祖は「沈黙する善良な市民」の繁殖にあると見る。つまり、時流に媚び、上に諂うことからの脱却が出来ないのだ。
自民党始め多くの国会議員は憲法99条(憲法尊重擁護の義務)を蹴散らし、立憲主義を否定した。この事実は我が国、憲政史上深く刻まれることになろう。
一方で、これから長寿社会を生きていかなければならない若者達。「政治家達に任せるだけで良いのか」という意識が台頭してきた。照らない灯火に灯りを灯そうというのだ。民主主義、立憲主義、法の支配に灯りを灯す歴史的闘いが始まった。2015年8月30日は我が国、憲政史上深く刻まれることだろう。
国民一人一人が国民主権にプライドを持てるか。日本の未来を占う重要なポイントになってきた。
以 上