「基調講演」は台無し
憲政記念館で開催されたJDサマースクール2015「戦後70年と障害者」に参加した。ところが「基調講演」は台無しであった。
精神科医蟻塚亮二氏の基調講演「沖縄戦の心の傷が今に問う」は、人権に関わる憲法の話とは違い、あちこちで聴ける話ではない。青森から時間と費用をかけて行ったが台無しであった。
原因は、隣席の女性によるスマートフォン写真撮影にあった。撮影の度に腕を高く上げ「カシャ」「カシャ」と響き渡る音。横を見たらほとんど、パワーポイントで映し出された資料を撮影しているのだ。回数も十数回に及んだだろうか。確かに、講演開始前の協力アナウンスはなかった。しかし、会場内には多くのスタッフが配置されていたのだ。誰一人注意、指導する者がいなかった。講演を聴く緊張感は完全に断ち切られた。そこで、私が怒りに近い注意をした。休憩時間に事務局責任者にその旨伝えたが、後半開始前にもその旨のアナウンスは無かった。
私はこの件を通じて、主催者側の「闘争心」の希薄さを感じた。「信頼」と「馴れ合い」。「優しさ」と「軟弱」。はき違えるととかく「闘争心」を弱める。なぜ、この様な事態を防げなかったのか、防ごうとしなかったのか、しっかり検証すべきである。と言いたいところだが、既述の様な内容を主催者側に伝えたが何ら応答はなかった。
そこで思った。「哀れみを施す発想はもう沢山だ」、と社会に訴えるのであればまず、健常者スタッフの人権意識をより一層高める必要があろう。そして、バリアを取り除き平等な社会を構築するキーワードは限りない「闘争心」にあるという共通認識が大事だろう。その為には常に憲法を学び、「自立心」の涵養は欠かせないと考えている。帰路はとても足が重かった。
以 上