「個」の弱さに忍び込む安倍氏の語り口
敗戦後70年、民主主義の前提である「批判精神」を醸成する土壌は痩せ、目を覆うばかりだ。
2001年8月15日、NHK番組で戦後日本に滞在していた著名な米国人が、次の様に述べた。「確かに日本は戦後表向きは大きく変わった様に見える。しかし、今でも積極的に一歩前へ踏み出して、これはおかしいと言おうとしない気質があります。それは悲劇的な欠点です。」
ところが、悲劇的欠点はさらに深刻だ。関心事は出世、家族の幸せ、健康のみ、いわゆる半径数メートルで生きている人達だ。「思考停止」状態を自ら選択、生きる支えにしている感さえする人達が蔓延しているのだ。「個」はしっかり衰退、かわって現れたのが識者が指摘するいわゆる「空気的大衆社会」だ。
その様な状況下に登場したのが安倍氏だ。未来からは学べない。過去からしか学べない。しかし、安倍氏は過去から学ばず未来を語る。新聞によると、安倍氏は戦後70年の談話で「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と強調したとある。安倍氏の言葉は一般人には難しい。レッテルと中身が違いすぎるからだ。また、言っていることとやっていることの乖離が激しいからだ。
これは、安倍政権時代に歴史問題にきちんと決着を付ける、という決意表明なのか。それとも、現在の自分の心境を後世の世代の名を借り、強調したに過ぎないのか。謝罪は数ではない。相手に伝わって初めて謝罪である。その様な真摯な姿勢は安倍政治からは伝わってこない。伝わってくるのは、直視史観出来ない虚勢の姿だ。前者を意図したのであれば、「許す。だけど忘れない」と相手国に言わせて欲しい。その努力を行動で見せて欲しい。盤石な安倍政権には出来るはずだ。
私の親族は青森大空襲で7名が犠牲になった。私達は、防空壕から脱出して逃げたから助かった。空襲予告ビラを拾うことを禁じ、空襲からの避難を禁じた。バケツリレーや「火たたき」での消火活動の推奨。わら人形を竹槍で刺す訓練。国民より国歌が優先。加えて、無恥の恐ろしさに驚くばかりだ。
憲法を無視、イノシシの如く突き進む安倍政治。民主主義の崩壊を目前にし、でも「これはおかしい」と言おうとしない多くの国民。もともと「個」の弱い国民性。「個」の醸成は日本の未来を占う重要なポイントだ。
以 上