問われるメディア、国民と共に立てるか
憲法学者は立ち上がった。安倍政権を痛烈に批判。「憲法無視の政治は独裁の始まり」「狂った政治を正すべきだ」「選挙で政権を交代させるべきだ」(小林慶大名誉教授)。「政府が成立を求めている安倍関連法案は違憲で、取り下げるべきだ」(長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授)【ヤフーニュースから抜粋】。
一方、国民の知る権利に奉仕すべきメディア、国民と共に立てるか。国民は望みもしない民主主義、立憲主義崩壊の歴史的分岐点に立たされた。この様な現況下に、メディアは国民の知る権利に奉仕、国民の声を吸い上げ、国民と共に立てるか。
以下は、法学館憲法研究所「今週の一言」よりの抜粋だ。
「ジャーナリストは見識を持った個人から始まる、というのが世界標準。彼等は社員であるが、その前に『職業がジャーナリストだ』というプライドがある」というのだ。
ところが、「インターネットの登場でメディアは大激変だ。新聞は部数が減り、テレビ離れは深刻だ。経営が痛み、外部圧力への体制が弱まった。そこに安倍政権が登場した」「生き残りをかけて政府に接近する。時の権力と繋がる方が何かと有利だから。軸は大きく右に傾いた」。
そして、「権力者との関係を維持するために、相手が嫌がる表現は控え、社内で評価される小さな成果を得るため、ジャーナリストとしての使命を捨ててはいないか」と警鐘する。
首相が報道各社のトップと頻繁に会食する。取材先と濃密な関係を保つことを良しとする光景。「和して同ぜす」などとは、個人主義が根付かない我が国民には難しい。これでは、ジャーナリストの感性を鈍化させてもおかしくない。
戦後、立憲主義を崩壊させようとする内閣は存在しなかった。歴史的分岐点に差し掛かり、戦後最もメディアの使命を果たすべき時だ。ところが、恩恵的歴史を辿って来た障がい者問題に類似してきたのだ。しかし、障がい者問題は、先人の闘いを繋ぎ、人権として主張するところまで来た。つまり、障がい者問題はバリアを取り除く闘いの連続なのだ。
メディアが「職業がジャーナリスト」の使命を捨てた時、経済原理を徹底追求する一般企業の集団と何ら変わらない。その時は、一気呵成に民主主義、立憲主義は崩壊するするだろう。歯止めが無いからだ。民主主義が民主主義を破壊する構造だ。
生き残りをかけ、権力になびくのか。それとも、権力に立ちはだかり民主主義、立憲主義崩壊を防ぐのか。経営が苦しいのは何もメディアに限ったことではない。日本の命運を握るメディア、歴史の検証に耐えられる役割を果たして欲しいものだ。
以 上