権力者はなぜ国旗・国歌を押しつけるのか
私は鈍かった。浦部法穂氏・法学館憲法研究所顧問の論考を読んで気付かされた。憲法尊重義務(99条)を負う権力者側がなぜ国旗・国歌を押しつけるのか。その背後は、掲げる、歌う等という単純な話ではなかった。憲法の中心的価値である「個人の尊重」(13条)が侵害されていたのだ。私は、この問題に対し、憲法19条「思想良心の自由」の観点からのみ評価していた。
同顧問は、「国旗・国歌に敬意を表すのは、国際社会の常識であり、当然のマナーだ」。この「常識」とか「当然」を疑ってみる必要性を指摘する。ところが、殆どの国民はその程度の感覚ではないだろうか。しかし、押しつける側、つまり権力者側の意図はそんなやわなものではないことが分かった。
権力者側は、自分が実現したいと思う様な政策に対して障害になるものは、徹底的に排除したい。その為には、国民がもの言わぬ従順な存在になることを望む。ところが、憲法13条が保障する「個人の尊重」が妨げになるのだ。そこで、従順な国民を養成、権力への求心力を高める手段として、権力者は国旗・国歌を押しつけるのである。国民との乖離が深まれば、その反動で権力への求心力を高めなければならない。その手段として、国民の説得に比べ、国旗・国歌の押しつけは手っ取り早く効果が現れやすい。それが今、大学まで及ぼそうというのだ。
ちなみに、自民党憲法改正草案は13条の「個人」が「人間」に変わっている。個人よりも集団を尊重、自由な意思を有する自律的個人の人権保障を目的とする立憲主義を否定しようというのだ。
日の丸・君が代に関わらず、国旗・国歌はどんな機能を持つか。そして、権力者や支配体制への疑問を一切持たず、批判能力を全く失った国民ばかりになった国は一体どんな国になるのか。同顧問は「全体主義国家」への方向へ転がり落ちようとしている、と警鐘をならす。平穏な生活、細やかな喜びさえも奪われるとは誰もが思ってもいないだろう。だが、川口市公民館で起きた川柳掲載拒否事件を思い出して欲しい。
是非、「法学館憲法研究所」を開いて、浦部法穂氏の「大人のための憲法理論入門」をご覧下さい。
最後に、アメリカの判例を紹介しよう。
アメリカの連邦最高裁では、対日戦争真っ最中で愛国心が最も高揚した時期とも言える1943年において、国旗に対する敬礼義務はないとするハーネット判決が出ている(伊藤真の判例シリーズ・憲法参照)。
以 上