分からないことにはハッキリ「×」をつけよう
未来からは学べない。過去からしか学べない。しかし、過去から学ばず、未来を語る権力者が現れた。しかも、自分が「国民の為」と思って行おうとする行動には憲法に縛られない、という特異な考え方の持ち主の様だ、と指摘する憲法学者。双方ともとても危険なことだ。なぜなら、短絡的で性急な思考が横行するからだ。その通り、我々は今、望みもしない歴史の分岐点立たされた。
本土と沖縄の「民意」の使い分け。中国へは「法の支配」を強調、国内では「私が言うのだから信じて欲しい」と「人の支配」を宣言。日中間の首脳会談開催に「条件なしに開催したい」と条件をつける安倍外交。そして、国内外で言葉の節々に「数」の驕りをさらけ出す。
この「数」の横暴にチェックをすべき役割を担う裁判所。「一票の格差」訴訟では、国民主権国家より国会議員主権国家を重視する始末だ。人権保障の重要な価値観である平等感覚の鈍感さに驚く。これでは「数」の横暴を支援している様なものだ。
加えて、選挙時には隠れ、選挙後には一気にトップに躍り出る「憲法改正」「集団的自衛権」。この姑息な手法に「国民の知る権利」に奉仕すべきメディアの姿勢が弱々しい。
最後には、蔓延する「沈黙する善良な市民」の存在だ。投票を棄権する人、投票はするが消去法で投票する人達。つまり、考えることから逃避している人達だ。そして、彼等の「沈黙」は権力者に対してであって、決して全てに沈黙しているのではない。「沈黙しない善良な市民」に対しては、自分の立ち位置を維持するため鋭い牙を向けるのだ。これは権力者にとっては、とても都合の良い存在だ。権力者は「×」以外は不信任とは評価しない。そればかりか、権力者の強力な支援者だからだ。
前記状況下に、議論討論を断ち切り、批判を封じ込め、民主主義の破壊に盲進する安倍政権。暴走を阻止するには、国民一人一人の「行動」しかない。具体的には、政府の主張が「分からなかったら動かない」ことである。つまり「×」の行動である。有権者が分からないということは、国会の議論討論、メディアの報道が不十分だということだ。つまり、主権者である国民に対し説明が十分に伝わっていないのだ。
今の平和を望み、明日の危険を呼び寄せることはよくあることだ。分からない事には「棄権」ではなく、「白票」でもなく、ハッキリ「×」をつけることだ。手段は、選挙は勿論のこと、デモあり、メールあり、アンケートありだ。この様な行動を一人一人がとれるか否か。日本の未来を大きく左右する気がする。
以 上