教育関係者の平等感

 耳の聞こえる人達と同じ様に扱って欲しい。この要望に対し、「特別扱い」は出来ない、という教育関係者が後を絶たない。
 普通扱いとは、みんなと同じ様な扱いをすること。だとすれば、聴覚障害者に何か健常者と違った扱いをすることは特別扱いとなる。つまり、不平等な扱いとなる。
 普通扱いとは、とは、違う人を違う様に扱いをすること。だとすれば、聴覚障害者に何か健常者と違った扱いをすることは普通扱いとなる。つまり、平等な扱いとなる。
 「特別扱い」は出来ないという教育関係者は、前者の考えの立場に立っていると言える。この発想が差別、偏見の根源であり、共生社会実現の大きな障壁なのだ。そして、ヤッカイなのはその認識がないことだ。これが子ども達のやる気を削ぎ、障がい者就労に大きな影を落とすことになる。
  憲法は、13条前段「個人の尊重」を中心的価値に置く。一人一人の違いを尊重しようということである。「障がい者権利条約」の趣旨は共生社会の実現にある。また、平等を基軸としたこども主体の教育は、「児童の権利に関する条約」の重要テーマだ。
  オランダ在住のリステルズ直子さんは著書「オランダの教育」〜多様性が一人一人子どもを育てる〜で指摘する。平等とは、一人一人個性も社会的背景も発達のテンポも異なる子ども達が、それぞれに適切な方法で最大限の発達を保障されてこそ実現されるものです。
  では、「平等」の考え方の相違はどこから来るのか。日本人の精神的特徴にある様だ。個別具体的に考えるより、集団主義的発想を重視する風潮だ。背景にあるのが天道様が収穫を決める農耕民族の生活環境が根深く影響している様だ。狩猟民族は自ら生存していくために狩猟や牧草地を主体的に移し替えるという(飛岡健「日本人のものの考え方」)。
  障がい者が完全に社会の一員となることは、社会の発展に大きな役割を果たす。この認識に立てるかどうか。お勧めは憲法の学習、入門書で充分である。

以 上