目先の利害で動く3分の2

  歴史家・色川大吉さんが東奥日報新聞平成26年12月21日付「変革を呼ぶ『愚衆』の力」という見出しで語っているのを目にした。以下、その一部を引用する。
  「底辺の大衆は元々自分本位の存在です。自分をみじめにさせている奴は叩きのめせ。それだけ。経験に学び、行動に結びつけられるのは全体の3分の1くらいで、残りは目先の利害で動く『愚衆』だと言っていい。でも、彼らが歴史変革の原動力になるんです。だから、本当は自分の首を絞める様な政権を支持している民衆の切実さに、野党はもっと注目しなければ」。

  歴史の分岐点が問われる課題が山積した昨年末の衆院選、戦後最低の投票率。そして、戦前回帰を目指す世襲政治家安倍氏が率いる自民党が圧勝。これも「3分の2」の結果なのだろうか。
  今年は戦後70年を迎える。法学館憲法研究所「今週の一言」で、伊藤真所長は次の様に述べている。「戦前・戦中における日本の国家の有り様を反省し、自由や民主主義、平和を基調とする日本国憲法によって形作られた日本社会を維持し発展させるのか、それともその「脱却」への道を歩むことになるのか、今年はその岐路になると言えます」。
  しかし、私の周りからはその気配は微塵たりとも感じない。もし後者であれば、今まで築いてきた生活環境とは相当異なるはずだ。しかも、その経験もない。にもかかわらず、その不安は何一つ聞こえてこないのだ。これも「3分の2」の結果か。
  その一方で、自分の存在価値を多数派、強者との一体感を表示することによって維持する。周りにはこの手の人々は、老若男女問わず激増している様に見える。「空気を読む」「仕方がない」等はその典型例だ。その際、思考力は不要。従順さがあれば十分だ。そして、楽なのだ。不確実な時代、労働環境の劣化、長寿社会の登場等が要因だろうか。国民は自信を失い、楽な方へ楽な方へと流れている様に見える。これも「3分の2」の結果か。
  ことはそこで終わらない。思考せずして自分の立ち位置を維持するため、どうしても偏見、差別、排除の論理へ流れやすい。実はこの土壌が怖い風景を醸し出すのだ。そして、厄介なことに自分が差別する側にまわっていることに気づかないことだ。待ち構えている風景は「全体主義」という一糸乱れない美しい風景だ。これは、私達が戦後70年熱い思いと努力を傾けてきた民主主義とは真逆の風景である。自由・平等の鮮度が下がり、決して国民の幸福度を高めない。
  いよいよ歴史の教訓に重なってきた。民主主義を民主主義で破壊したヒトラーが率いたドイツ・ナチス。ユダヤ人600万人虐殺、その背景にはユダヤ人に対する根深い偏見が横たわっていた。ヒトラーはその国民感情を上手く利用したのだ。
  どうしたら、経験に学び、行動に結びつけられる様になるのか。何時になったら、国益、私益を乗り越え、譲れない「価値観」のために立ち上がる様になれるのか。そんな中、自分は何をなすべきなのか。年輪を重ねるごとに悩みは尽きない。

以 上