歴史の分岐点、鍵を握る選挙棄権者
「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目である」
1985年ドイツの敗戦40周年にあたっての国会演説、ドイツ・ヴァインゼッカー元大統領が述べた名言。これを地で行くかの様な安倍氏の政権運営。これを支持する国民。
「自分が体験したことしか理解できないのであれば、それは動物と同じ」と語るのは作家の塩野七生さんだ(「日本の危機と世界の対立」改革が衰退に結びつくとき・月刊現代2005年3月号)。
私達は体験したことさえ理解出来ていない様だ。原爆投下、敗戦、大震災、原発事故、何が起きても国民の意識は変わらない。「誰がやっても同じだから」「自分の投票で国が変わるわけでもないし」。いわゆる「観客民主主義」である。この風潮は根深く深刻だ。
解釈改憲による集団的自衛権の具体化、立憲主義の破壊を目論む憲法改正。そして、戦前の治安維持法を彷彿させる特定秘密保護法。課題は歴史の分岐点を問うものばかりだ。でも、衆院選挙有権者の約半数は投票所へは行かなかった。投票率は戦後最低の52.67%だった。
投票率の低さを歓迎
投票率の低さを歓迎する「政党」があることはご承知の通り。組織率の高い政党だ。そして、選挙の争点としなかった集団的自衛権。官房長官「信任を得た」と胸を張る。これが多数決的民主主義の怖さだ。しかし、沖縄知事選の民意は憶面もなく無視。これが権力者の横暴なのだ。
更に投票率の低さを歓迎する「法律」があるのだ。最低投票率の定めが無い国民投票法である。投票総数(賛成票と反対票の合計。白票など無効投票を除く)の過半数の賛成で憲法改正案は成立する(国民投票法126条・98条2項)仕組み。今回の投票率を当てはめた時、26.335%の賛成票で憲法改正案は成立する。有権者の約4分の1で憲法改正案は成立するのだ。私は、投票率は選挙より下がり、白票(無効)も選挙より増えるだろうと見ている。とすれば、有権者の5分の1、20%で憲法改正案は成立することも考えられる。有権者の20%で憲法を180度転換、立憲主義を破壊できる。何とも不思議な国である。
鍵を握る選挙棄権者
とすれば、歴史の分岐点、鍵を握るのは選挙棄権者である。確かに、政界は益々歌舞伎界の様相を呈してきた。政治家への魅力を感ぜず政治への関心は遠のくばかりだ。しかし、この段になっても戦後最低の投票率。私には「個」の弱さが露呈した光景に映る。そして、投票行動から逃げた結果と見る。
私達は幼少の頃から従順に生きることを叩き込まれてきた。その結果、「個」、つまる自分で考え判断し、決断し行動する。その結果に責任を取る、という構造を殆ど学んでこなかった。善悪より損得の価値判断はさらにその傾向を強める。加えて、同調圧力の社会風土、情緒的判断から脱しきれない国民性。
これが「思考停止状態」に陥っているとしたら事は深刻だ。独裁政治、全体主義がとても好む土壌だということを歴史が教えてくれるからだ。民主主義にとっては危険水域だ。
学習から逃げる日本人気質
破壊された立憲主義は二度と戻ってこない。権力者にとって、とても都合が良いからだ。ロック以降フランス革命を経て血を流し築いてきた立憲主義。誕生して200年足らず。そして、立憲主義、法の支配実現のため権力者の横暴と戦う国は後を絶たない。国際的潮流と真逆の自民党憲法改正案。国民は人類英知の結晶である立憲主義の破壊を本気で望んでいるのだろうか。今一度日本国憲法を生み出した歴史の学習をお勧めしたい。学習は入門書程度で十分だ。
ところが、国民的気質が学習に大きく立ちはだかる。憲法の話を遠ざける人達、「憲法は難しい」と言うが、「分からない」とは言わない。「難しい」は学んで初めて分かる話。つまり、自分は学んだと主張して学習から逃げているのだ。この国民的気質は巨大なマグマとなり民主主義を破壊するかも知れない。民主主義の破壊は権力者の「横暴」に従えば良いだけの話、学習は不要だからだ。歴史の分岐点に大きな影響を与えることは必至だ。
以下は『マガジン9/「風塵だより」著:鈴木耕/http://www.magazine9.jp/article/hu-jin/16937』」より抜粋したものだ。
『ネット上で出回っている恐ろしい映像がある。
選挙後に、安倍首相が日本テレビに出演した際のもの。村尾キャスターが問いかけると、その問いが気に障ったのか、やたらイヤホンを外して村尾氏の声を自分に聞こえない様にした上で、滔々と持論を喚き立てた。人の言うことを聞こうという姿勢が全くない。
テレビに出て、キャスターの問いかけにさえ応えようとしない者が、何で国民の意見に耳を傾けるだろうか。ぼくはこの映像を観ながら、今更ながらにこの男の独裁的気質に脅えたのだ。
ほんとうに、ヤバイッ!!』
安倍氏の政治手法が凝縮された様な光景。これが一国の総理の姿とは愕然とする。この様な有様で、考え方が違う政治体制も異なる国々との外交で成果を上げることが出来るのだろうか。国益のためアメリカが中国接近外交を展開した時、日本丸は漂流することになるのだろうか。
感性が弱まったメディア
国民の知る権利には奉仕すべきメディアにも愕然とする。既述した報道に触れることはなかったからだ。民主主義の前提である批判精神。牙が抜かれてしまったか。「これはおかしい」という感性が弱まってしまった。
歴史の分岐点に立たされた
私達は今、歴史の分岐点に立っているのではない。立たされたのだ。衆院選挙投票率戦後最低の52.67%を見てそんな思いを強くした。後世の人達の検証に耐えられるよう、今年も「一人一人の力は微力だが、無力ではない」をモットーに頑張る。これは今生きる自分の責任だと考えている。人生に悔いを残すことにならない様行動する。
以 上