無農薬・無肥料栽培への私見

最近、当園を無農薬・無肥料園と、間違っての問い合わせがあり、困惑している。
人には人の考えがあるのだから、それぞれが実施していることを批判することもないのだが、間違っての問い合わせや筋違いの批判に、私見を書いてみることにした。
私は学者でも公人でもない。一生産者としての考えである。そのことを理解して読んでくだされば幸いである。

なぜ木村りんご園と名乗るのか

なぜ、無農薬園と同じ名前の木村りんご園と名乗っているのだという批判がある。
しかし、当園が「木村りんご園」としてホームページを立ち上げたのは、1995年のことで、かなり早い。
りんご生産者のホームページとしては先駆け的な存在だと自負している。
特別に意図もなく、「木村りんご園」と名乗ったのだが、長い年月の中で愛着も感じ、また、この名前で毎年のように検索してくれる人も多い。
同じ名前を名乗って混乱し、当方に迷惑をかけているのは、むしろ後発の人たちだと思っている。

奇跡というが

無農薬・無肥料栽培はある程度は可能だと思っている。
ただし奇跡ではない。
奇跡とは「神かがり」のことであって科学ではないと思っている。
再現できてはじめて科学といえる。農業も科学の一つである。
同じ条件を作り出したら、再現できる。それでなければ、信憑性がない。
私だけにできたという考えには、賛成できない。「本当かいな???」という気もする。
そういえば新興宗教も奇跡という言葉をよく使用するが…
自然栽培などと報道で気になるのは、取り組んで5・6年も花もつかないのが、奇跡的に花をつけたいう論調があるが、植物の生理に反している。
通常植物は弱くなると、子孫を残すために花をつける。枯れる寸前まで花をつける。
花がつかないのは、植えつけ直後で若い状態か、極端に生育が強いか、枯れて死んだ状態である。
枯れたものが回復するということは、絶対にない。自然栽培をして強い状態になるということは、理解できない。
これも、「本当かいな・・・」と思って聞いている。

自然の植物は農薬も肥料もいらないが…

自然に自生している植物には、農薬も肥料もやらなくても生長できる。だから栽培でもできるはず・・と言っている人もある。
自然は循環している。循環が成り立つということは、肥料などはいらない。
ただし、循環の輪のどこかで人間の手が入ると、それは成り立たない。(収穫物を獲るということは、循環の輪を壊すということである)
また循環の輪が成り立っていても、長い年月の間には変化が生ずる。
しかし自然にある植物と、農業が生産している植物では品種が異なる。
中国の天山山脈にはりんごの原生林があると聞いたことがある。
長い年月。そこにはりんご属の樹林がある。もちろん、そこでは肥料も農薬もない。それでも生長している。
ただし、樹が生長しているのであって、果実が生長しているのでない。また食べられる実をつけるりんごの樹ではない。
おそらく、一本の樹が何百年も生長しているのでなく、世代交代を繰り返しながらも、現在に至っているのだろう。
それは、自然淘汰されながら、その時点での環境に適応したものだけが生き残っているのだろう。
葉を落とし、実を落とし、枯死した樹が腐敗して、次の世代の養分となっているのだろう。
また我々の周りでも、山林では肥料も農薬を使用なくても、樹は生長している。人の手が入らない山林は、腐葉土があふれている。
このように考えると、植物は自然の状態でも生き残っていける遺伝子を持っているだろう。
だからと言って、自然栽培はできる等と言うことは大きな間違いである。
そもそも、自然にある植物と果実を収穫することを目的として栽培している植物と、比較すること事態が間違っている。
栽培している植物は、人工的に育種された植物が大部分である。
その育種の目標が美味しいものであったり、生産力のあるものであったため、本来持っている自然状態で生長する遺伝子が失われているか、極端に弱まったと思っている。
ただし、いろいろな品目、品種の中で原種に近いものは、現在でも自然栽培で栽培されているものもある。
賛成ではないが、遺伝子組み換え技術で、病気や害虫に強い遺伝子を発見して、それを組み換えした品種を作ったら、まさに無農薬が可能になるのだろう。
また、最近の交雑育種の目標の一つに耐病性もあるという。
全ての耐病性でなくても、主要病害の一つにでも耐病性品種ができたら、その分は防除は必要がなくなる時代がくるだろう。

無肥料栽培

無肥料の栽培は可能だと思う。
ただし、前述のように循環の輪を壊さないということが原則である。
果実などを持ち帰った分は、循環の輪が途切れる。その分は人間の力で補充してやらないと、次第に有効成分が少なくなくなる。
新規に開園したりんご園は、初期にはかなり生育がよいが、数年たつと次第に落ち着き、それから弱くなっていく姿を多くの生産者は実感している。
ただし、空中にも窒素がある。微量要素もある。雨にも有効成分があるだろう。
何かの現象で作物に取り込まれたり、土壌に蓄積する可能性はゼロではないだろう。
少量の生産なら、無肥料栽培は可能だろうが、経済的に安定した生産を持続するのは不可能だろうと考えている。

無農薬栽培

「親がなければ子がない」という。
害虫は親を寄せつけないと、子が発生しないはずである。
野菜などはネットなどで被覆することで、親を寄せ付けない栽培は、ある程度実施されている。
大規模な密閉した環境を作り出すことよって、野菜工場的な環境での無農薬栽培の話も聞いたことがある。
りんごは、圃場全体または樹全体を被覆するのは不可能である。(膨大なコストをかけると出来ると思う)
ただ、果実は被覆することができる。
かっては、青森県の殆どのりんごを紙袋で被覆した。つまり有袋栽培である。
害虫が発生する前に袋かけをするために、膨大な労力を投下していた。このようにすると害虫はある程度防ぐことができる。
明治の中ごろ、ろくな農薬のない時代でも、この方法である程度は害虫を防いできた。
ただ、有袋栽培は通常の栽培でも糖度は落ちるということは証明されている。また高コストになる。
人力で虫を取り除くという話もあるが、時間さえかけると出来るだろうが、取り除けるような大きな虫だけでない。
りんごにとっては大きな被害をもたらす害虫は、むしろ人間の目に触れにくく、果実に潜ったり、葉を巻いたり、樹皮の下に潜んだりする小さい害虫が多い。
病害はもっと面倒であろう。伝染する原因は眼に見えない胞子であることが多い。
ネットや袋で、これらの全てを防ぐことはできない。手で取り除くなどは、絶対不可能である。
有袋栽培で、果実にも罹病する病害はある程度防ぐことができても、葉に袋を掛けることはできない。
葉に罹病する病害を防ぐことはできない。
主要病害は葉に罹病することが多い。これによって落葉することも多い。
植物を育てる原則は葉を大事にすることである。
花でも庭木でも同様である。
葉が光合成を行い、植物が生長すると中学校時代に習った。
1個のりんごを成長させるには50枚の葉が必要だと言われる。
りんごが生長する間は、いかに葉を持続させ.るかが大切だ。生産者は、そのために頑張っている。
葉が早期に落葉すると、絶対美味しい果実はできない。
時々見受けられる、放任園のりんごは、とても食べられるようなものではない。(もっとも食べようとすれば、食べられるだろうが…)
ただし、何らかの措置をして、病害が発生しても、葉を維持することができるなら、多少は成長するだろうし、糖も蓄積されるだろう。

近年の農薬事情

農薬は危険だという概念がある。
たしかに、毒物もある。危険なものもある。だから取り扱いは慎重にしなければならない。
最近、自然から抽出したものを使用して、それを散布して病害を防いでいるTVの番組もある。
これらの効果は知らないが、少なくとも自然のものだから安全だというのは、間違いではないだろうか。
自然物質は安全で合成物質は危険だというのは、偏見だと思う。
農薬や医薬品は、近年まで全てが自然物質であった。漢方薬などがその例である。
しかし自然にも猛毒は沢山ある。有名なトリカブトも、ニコチンも除虫菊も自然のものである。
また、農薬と言っても、毒物だけでない。
脱皮阻害剤といって、昆虫が脱皮を繰り返し成長する過程を阻害して、死滅させるものもある。
またBT剤と言って、バクテリアを利用したものもある。
散布する農薬でないが、園地に対象昆虫の雌のフェロモンの匂いを充満させ、雄との交尾を防ぎ、徐々に害虫を少なくしていく、フェロモン剤というものもある。
これらのものは、殆ど毒性がないものが多い。
全てを一緒にして、農薬は怖いと言った論調には、いささか疑問がある。

生産者としての考え方

病害虫の被害により見てくれは悪くても、葉が落葉し糖の蓄積が少ないため不味くても、生産量が少量のため価格が高くても、自然栽培のものがほしいという需要もあるのだろう。
それに対して異論はない。

しかし、無農薬・無肥料栽培こそが閉塞されている我が国農業の現状打開の方向だという考えは、それでなくても自給率が低い我が国農業の方向として、正しい方向なのだうか。
近い将来、世界的な食糧不足が到来すると言われている時に、このような方法で良いのだろうか。持続する農業や食糧生産と言われるが、このような方法が本当に持続可能な方法だと検証できているのだろうか。
このような農産物を欲する人は、自分は裕福だから自然栽培のものがほしいが、後のことは知らないというのだろうか。

また噂であるが、需要があっても、それに見合った供給できていないらしいことが多い。
とくに、報道をしたなら、短期間でも、それを欲しいという人には、供給できる体制であるべきだ。
それもできないで、夢の栽培などというのは、世の中を混乱させて喜んでいるだけなのか。また本当に生産しているかと勘繰りたくもなる。
最近の報道は、これらのことを検証したうえでのことなのか・・・と大きな疑問を持っている。

少なくとも、このようなことは当園の目的ではない。
当園は、安全で美味しいりんごを、毎年安定して生産して、できるだけ安定した価格で提供することを目的にしている。
今まで我々は、外観的にも完璧なりんごを生産するため、過剰な防除してきた傾向は否めない。
そのようなことは反省し、不要な防除はできるだけしないようにしている。
害虫発生の状況をつかむため、フェロモントラップを設置し、また可能な園地にはコンフェザーという交信撹乱剤を設置している。
これで害虫防除は半分にできる。
病害に対しては、安全な農薬の選択と予察の徹底で、可能な限り回数削減をしている。
土壌維持のため、土壌検定を実施し、不足な要素の補給をしている。
堆肥や稲わら、剪定枝を粉砕したものなどの粗大有機物を循環の輪が途切れないように投入し、生産力が持続できるように対策をしている。

いずれにしても、ぶつぶつと文句を言いながらも、今日も木村りんご園の家族は、安全・安心なりんごを安定して生産するために頑張っている。

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