岩木山についての項目
北津軽から見た岩木山 岩木山の概要 岩木山の噴火
岩木山の森林体系 信仰の山岩木山 お山参詣の唱言
下山の唱言 カラカの館 .


校歌に歌われる岩木山
五所川原小学校 南小学校 栄小学校
藻川小学校 毘沙門小学校 羽野木沢小学校
東小学校 梅泉小学校 七ッ立館小学校
三輪小学校 栄中学校 五所川原第一中学校
五所川原第二中学校 五所川原第三中学校 五所川原第四中学校
三好中学校 . .
(旧)柏村立第一小学校 (旧)柏村立第二小学校 (旧)柏村立第三小学校
柏中学校 . .
木造町立向陽小学校 稲垣村立稲垣西小学校 .
常盤村立常盤小学校 . .
金木小学校 川倉小学校 金木中学校
金木南中学校 . .
板柳北小学校 板柳中学校 .
五所川原高等学校 五所川原農林高等高校 五所川原工業高等学校
木造高等学校 木造高校(旧校歌)
岩木高等学校 旧制弘前高校 .








北津軽から見た岩木山

 富士ではなかった。津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田のつきるところに、ふわりと浮かんでいる。実際、軽く浮かんでいる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美人ではある。
太宰治 津軽より
北津軽から見た岩木山の姿へ




岩木山の概要

 別称津軽富士。青森県西部にある休火山で鳥海火山帯に属す。標高1.625メートル。山体は円錐形で山頂部は中央の岩木山、北の巖鬼山、南の鳥海山の3峰からなり、津軽平野に富士ににた姿でそびえる。地質はおもに新第3紀層を基底とする複輝石安山岩。古から霊山として農民の信仰を集めた。南麓に岩木山神社があり、江戸時代からお山参詣の行事ある。最後の噴火は文久3(1863)年。山麓一帯には百沢、三本柳、岳、湯段の温泉がある。弘前方面から百沢、岳、弥生、鰺ヶ沢方面からは長平、板柳方面からは大石が登山口。1965年に岳から8合目まで岩木スカイラインが開通、バス終点から鳥海山頂にはリフトが、通じている。
ブリタニカ百科事典より



岩木山噴火の歴史(抜粋)


1571年 山頂付近から光物飛ぶ。
1597年 噴火の規模大きく、土石が雨のように降る。
1600年 噴火に伴い大地震。昼も夜のように暗く、火山灰降る。
1640年 岩木山鳴動し、三日間で九センチの火山灰降り積もる。
1782年 強い地震と鳴動。水蒸気爆発が数カ所で起こる。
1863年 藩政時代最後の噴火。水蒸気爆発で大石を飛ばす。
1970年 1月に鶴田町東方を震源とする地震が起こる。
また、嶽温泉の温度が15℃上昇。 赤沢でガスが発生。火山性の異常現象が認められる。

このほかにも約20回位噴火や水蒸気爆発の記録あり。

 02年3月3日陸奥新報社の新聞記事より




岩木山の森林体系

 岩木山は、標高1625メートルの単独峰(頂上は、岩木山・巌木山・鳥海山に別れている)で、森林層が四層になっている。第一層がナラ帯、第二層がブナ帯、第三層がダケカンバ帯、第四層がハイマツ帯である。その上、八合目付近からは森林限界で、森林体系は存在しない。単独峰で、森林がこのようにはっきりした階層になっている山はまれである。

情報提供者 中山 眞



信仰の山岩木山

 岩木山神社は、藩政時代は岩木山三所大権現といい、別当には岩木山光明院百沢寺をおき神仏混淆で、百沢寺には寺領四百石を与えていた。しかし明治初年の神仏分離により、寺院と神社がわかれることになったため、寺院は廃され、津軽総鎮守、国幣小社岩木山神社と改められた。本尊の岩木山三所大権現は御宮殿(厨子、県重宝)に入れられたまま弘前市西茂森の長勝寺に移された。百沢寺本坊は社務所となって現存している。
 三所大権現とは、中央岩木山・阿弥陀如来(国常立命)、右峰鳥海山・薬師如来(大山昨命)、左峰巖鬼山・十一面観音(多都比姫命)の三峰三所を三位一体の神とし、本殿・山とむすびついていた。岩木山の頂上にあるのが本宮で、百沢の方は下居宮とよばれた。明治以降は、宇賀能売命、顕国魂命、大山祗命、坂上刈田村麻呂命、多都比姫命の五神がまつられている。
 お山参詣は、津軽の年中行事のなかで最大の祭りであった。藩政時代から総鎮守岩木山三所大権現の祭りとして七月二十五日(旧暦)に山開きがおこなわれ、八月一日(旧暦)から十五日間の間にお山参詣をするのである。農耕を守ってくれるという信仰と密接に結びついてだけに、この行事はその年の五穀豊穣を祈願するためにおこなわれる。

津軽の祭りと行事より



カラカの館

 岩木山南麓の岳温泉から日本海岸鰺ヶ沢港への県道沿線の標高440mのあたりに、湯ノ沢川と黒森沢の間の尾根がある。その尾根の上方標高1、000メートルから1、260メートルにかけてカラカの館が築かれている。
 最高所である標高1、260mあたりは、山頂に近くでは珍しく東西100m×南北150mの台地状を呈している。台地状とはいえ凸凹で高低の差もあるが、その中に約30平方メートル前後のほぼ平坦な個所が幾つも点在している。すなわち本郭と奥の郭である。本郭の中心高所から東北東約950メートルあたりが岩木山の主峰(標高1、625メートル)また東南東約850メートル付近が南峰の鳥海山(1、502メートル)となっている。
 「岩木山の山奥にカラカの館という城跡がある」という口碑は江戸時代からあるという。明治以降の二、三の刊行書にも簡単に記されているが、実際に見聞した人には会ったことはなかった。筆者の恩師が調査を考え、ともに道案内者を捜したがなかなか見当たらず、約4年後の昭和23年になってようやくめぐりあたり同年8月に調査が出来た。しかし調査といっても、道もなく、ブッシュに覆われ、本郭付近は密生した樹枝の絨毯で土は全く踏めないという状態であった、四つんばいになって樹間を縫うように進退し、おぼろげに概要を掴み得た。
 斜面に三段の空堀が切られ、側面にもまた縦の空堀があり、その外側にはやはり縦の土塁が認められた、不思議な構造といわねばならない。後に判明したことは、このカラカの館は斜面に造られてはいるものの、横に構えた城であったことである。
 南西に向いた斜面に南東から西北に堀を掘って、南東から攻める敵を防ぎ阻む構造となっていたのであり、前述の縦の空堀および縦の土塁、すなわち斜面に沿った堀・土塁はその防御物であったことになる。そして土塁は外方すなわち南東方約2メートル〜3メートルのあたりに、やはり斜面に沿って縦に高さ1、5メートルないし2メートルの石塁までのこっていた。繁茂した樹林のため完全に確認はできなかったが全容はつかむことができた。
 次に鳥海山に登って本郭・奥の郭を俯瞰して、長楕円形に空掘が掘られていたのを発見した。その空堀を歩いていたときは高低の差があり、左右の高さも一定でないため堀とは思いも及ばなかったのである。
 その後の調査をせぬうちに津軽岩木スカイラインの建設工事が始まり、前線が開通して整備にはいった時点で再調査ができたが道路工事で排除された大小無数の岩石が館の空堀を埋め、落石の危険もあって立ち入ることもできなかった。土塁・石塁も寸断され、以前に見ている我々にはそれと判るが、初めての人には判断もできない変わり様となってしまった。このスカイラインは69のカーブを持っているが、カラカの館はその52のカーブから69のカーブを曲がるまでの間にあった、最高所は展望所のある大駐車場が本郭と奥の郭の所在地でありそのおかげで大駐車場を造り得たのである。ちなみに斜面の傾斜角度は約40度三段堀の規模はほぼ同じで低部の幅約1、8メートル深さは片側で約1、6メートル長さすなわち奥行は60メートルである。ここを攻める敵はその右手を封じられ、左足を踏み外せば斜面を転落という造りである。
 このような高所に誰が築いたのか、拠るべき史料がなく全く不明であるが堀の形に唐川城のそれと似たものを感じ、安東氏に関係するものと推定している。津軽退去後の安東氏の津軽への執着は非常なもので、応仁二年(1468年)二月二十八日付安東師季の熊野那智山への願文にも津軽外ヶ浜・宇楚里・鶴子遍地までもことごとく安堵せしめるように明記している。盛季の子康季は密かに入国して鼻和西根の城に入ったとされ、それは岩木山東南麓、岩木町の大浦城の前進に比定されている。その康季の子義季は岩木町の高館城に拠って南部の大軍に撃破され討ち死にしている、南部軍とは騎馬軍団である深山高山に安東氏が拠れば南部軍は全く手を出せない、おそらくカラカの館は安東氏の津軽への進攻拠点、そして避難場所に造られたものではなかろうか。

参考 日本城郭大系に依る。 中津軽郡岩木町岩木山中国有林内
    室町時代中期か、安東氏か、山城・堀・土塁・石塁三百米×二百米、
    標高1000米〜1260米

資料提供者 稲垣村        さん



お山参詣の唱言


サイギサイギ (懺悔懺悔)

ドッコイサイギ (六根懺悔)

オヤマサハツダイ (御山八大)

コウゴウドウサ (金剛道者)

イーツニナノハイ (一々礼拝)

ナムキンミョウチョウライ (南無帰命頂礼)




下山の唱言


宵山かけた、朔かけた、ば〜だら ば〜だら ば〜だらよ 

宵山かけた 朔かけた 笑満足満足満足よ
今年豊年宵山かけた 笑満足満足満足よ




校歌に歌われる岩木山


五所川原市立 五所川原小学校
                 
作詞 三浦 圭三
補作 外崎 美智雄
作曲 佐々木 英

一、津軽平野の 正(ただ)中に
   町並しげき 五所川原
   わがまなびやの 朝夕に
   きくは平和の 鐘の音

ニ、外には清き 雪の花
   内にはもゆる 誠の火
   かざす徽章(しるし)を 心にて
   いざやはげまん 日に月に

三、文化の二字を 仰ぎつつ
   つらぬき行くは 人の道
   たどる旅路は はるけくも
   ああ岩木嶺(いわきね)に 雲はなし 





五所川原市立 南小学校

作詞 小野 正文
作曲 清野 健

一、緑の平野 つらぬきて
   清らに光る 岩木川
   その注ぐ海 思うとき
   われに明るき 希望わく
   ああ 五所川原南小学校

ニ、大空に そびえたち
  紫におう 岩木嶺よ
  その気高さを 仰ぎ見て
   われは正しき 人たらん
   ああ 五所川原南小学校

三、白雪庭に ふぶくとも
   おおしく並ぶ ポプラの木
   そのけなげさを 眺めつつ
   われら日毎の 業をつむ
   ああ 五所川原南小学校





五所川原市立 栄小学校

作詞 石森 延男
作曲 清野 健

一、朝雲清き 岩木山
   ゆたかな姿 仰ぎつつ
   みずから学び 知と愛と
   いよよ高めん 若き日に
    望みと幸と わきいずる
    この学びやの 名は栄
       栄小学 光あれ

ニ、夕星うつる 岩木川
   しずかな流れ のぞむとき
   われらは思う なかよしの
   明るき世界 ともどもに
    望みと幸と わきいずる
    この学びやの 名は栄
       栄小学 光あれ

三、津軽平野は ふるさとの
   栄をいよよ 願うなり
   北風寒く ふぶくとも
   たゆむことなく 進まばや
    望みと幸と わきいずる
    この学びやの 名は栄
       栄小学 光あれ

昭和33年11月15日制定






五所川原市立 藻川小学校

作詞 小野 正文
作曲 清野 健

一、津軽野の 母なるものか
   岩木川 流れてやまず
   堤には 蕗のとうもえて
   ああ藻川 この古里を
   われ愛す いざ友よ
   すこやかな体をもちて
   希望に進む人たらん

ニ、みちのくの 父の姿か
  岩木山 そびえて高し
  田の面には 稲のにおならび
  ああ藻川 この古里を
  われ誇る いざ友よ
  さわやかな心をもちて
  使命に生きる人たらん

昭和33年8月16日制定






五所川原市立 毘沙門小学校

作詞 小野 正文
作曲 木村 繁

一、みどりの風は 輝きて
   津軽平野に 陽がのぼる
   幼き夢を 育てつつ
   広き世界に のびゆかん
   毘沙門 ああ その名
   われらの 小学校

ニ、朝な夕なに 仰ぎ見る
   気高く清き 岩木山
   幼き心 鞭打ちて
   新しき代に 進むべし
   毘沙門 ああ その名
   われらの 小学校

三、白銀の雪 ふりつもり
   松の姿の たのもしや
   幼き体 鍛えつつ
   学びの道に 励むべし
   毘沙門 ああ その名
   われらの 小学校






五所川原市立 羽野木沢小学校

作詞 阿部 誠一郎
作曲 松島 みどり

一、朝日に匂う 陸奥の富士
   気高き姿 仰ぎつつ
   誠の道を 踏みしめて
   いざや励まん 諸共に

ニ、夕月淡し 梵珠山
   昔の跡と しのびつつ
   栄ある七和の 名にかけて
   いざや励まん 諸共に






五所川原市立 東小学校

作詞 横山 武夫
作曲 木村 繁

一、こころ開いて 東を見よ
   ひがしは日の国 青い空
   学べや遊べや いつ心に
   つよく 明るい 明日が待つ
   まなびや 東よ わが母校
   東よ 東よ わが母校

ニ、山にむかって 目を拳げよ
   山にはけだかい 教えがある
   そびえる岩木嶺 梵珠山
   こころの奥に かたる声
   まなびや 東よ わが母校
   東よ 東よ わが母校

三、伸びよう 伸びよう 学びやの
   校章はアスナロ 希望の木
   天にむかって まっすぐに
    しげる緑の葉が もえる
   まなびや 東よ わが母校
   東よ 東よ わが母校






五所川原市立 梅泉小学校

作詞 関 清秀
作曲 秋田 誠二

一、光明るき 津軽の広野
   希望は高し 岩木の秀つ嶺
   体を鍛え 学びを究め
   ああ清く正しく 伸びゆく者よ
   われら 梅泉小学生

ニ、さざ波かがやく 十川の流れ
   歴史も古き 泉のほとり
   稲の穂豊けく 木の実は紅し
   ああ若く雄々しく 進みゆく者よ
   われら 梅泉小学生

三、雪とあらしに 心を磨き
   伝統誇る わが日の本の
   文化を創り 平和を築く
   ああ強く厳しく 生きぬく者よ
   われら 梅泉小学生

平成13年3月31日 閉校






五所川原市立 七ツ館小学校

作詞 工藤 直三郎
作曲 清野 健

一、岩木たかねを あおぐ里
   朝な夕なの けだかさに
   清く育とう どこまでも
   友よたがいに 胸はって
   はげめ学びや 七ツ館

ニ、梵珠山ねの ふもとはら
   こがね穂波の ゆたかさに
   直く育とう どこまでも
   友よたがいに 手をふって
   はげめ学びや 七ツ館

三、十川波間に 語る園
   土のかおりの あけくれに
   強く育とう どこまでも
   友よたがいに 肩くんで
   はげめ学びや 七ツ館

平成13年3月31日 閉校






五所川原市立 三輪小学校

「小鳥に翼があるように」

作詞 阿久津 凍河
作曲 小倉 尚継

一、小鳥に翼があるように
   希望の翼のある私
   明日に向かって羽ばたけば
   心もあかるく燃えてくる
   そして津軽平野の明るさに
   そびえる山は岩木山

ニ、小鳥に翼があるように
   勇気の翼がある私
   明日を信じて羽ばたけば
   心もゆたかになってくる
   そして津軽平野の豊かさに
   流れる川は十川なり

三、小鳥に翼があるように
   友情の翼のある私
   今日もみんなと遊ぶから
   心にやさしい花が咲く
   そして津軽平野の優しさに
   楽しく学ぶ三輪あり

平成13年4月7日 栄小の一部と七ッ館小と梅泉小が統合して開校






五所川原市立 栄中学校

作詞 工藤 直三郎
作曲 清野 健

一、東梵珠の 裾のもと
   津軽広野の ただ中に
   黄金垂穂は 波寄せて
   天の恵みと たたえつつ
   学ぶわれらの ほがらかさ
   ここぞ名のごと 栄中

ニ、西に岩木根 仰ぐもと
   とわの気高さ ひとすじに
   神の啓示と ぬかずきて
   地の利つぶさに ささげつつ
   進む歩調の 高らかさ
   ここぞ名のごと 栄中

三、岩木川瀬の 楽のもと
   あかりりんごの 里の香に
   生命絶せぬ 幸うけて
   つとに人の和 かざしつつ
   励むわれらの 清らかさ
   ここぞ名のごと 栄中

昭和47年第三中学校に統合して閉校






五所川原市立 五所川原第一中学校
                    
作詞 和田 山蘭
作曲 片山 穎太郎

一、黄金波よる 津軽野の
   ここは名に負う 五所川原
   千古秀ずる 岩木のみねを
   仰ぐわれらが 一中校

ニ、見よさんさんと 降りそそぐ
   学びの庭の 日の光
   いざ学芸に またスポーツに
   いまは鍛えん 身を魂を

三、都も里も あかあかと
   文化輝く 日本の
   さかゆくあすの 希望に燃えて
   共に励まん 国のため





五所川原市立 第二中学校

作詞 小野 正文
作曲 清野 健

一、みちのくに 白雪消えて
   丘の辺に 若葉も萌ゆる
   みよ梵珠嶺 緑かがやき
   あすなろは 今日も伸びゆく
   ああわれら この学び舎に
   二つなき 生命つちかう

ニ、津軽野に 郭公鳴けば
   アカシアの 花咲きにおう
   見よ岩木川 静かに流れ
   大海に 今日もそそぐか
   ああわれら この学び舎に
   果てしなき 夢をはぐくむ

三、岩木山 そびえて清く
   稲みのり りんご彩づく
   見よ大空に 虹もかかりて
   ふるさとは 今日も美し
   ああわれら この学び舎に
   新しき 未来を描く






五所川原市立 第三中学校

作詞 土岐 富造
作曲 岩谷 宣隆

一、陽炎の 立つ津軽野や
   垂乳根が 展きし宝庫
   われら 生まれり
   盛り上がる 若人の意気
   高らかな 歓喜の譜
   遥かなる 人生に臨まん
   ああ 五所川原第三中学校

ニ、足曳きの 梵珠の嶺ろや
   遠つ祖 おこせし園生
   われら 育てり
   日に盛る 文化の炎
   湧きいずる 科学の泉
   きわみなき 人智を探らん
   ああ 五所川原第三中学校

三、白妙の 岩木の裳裾
   諸人が 綾なす郷土
   われら 集えり
   ふり仰ぐ 雲井の容姿
   睦み合う 心の輪波
   永久の 人道を求めん
   ああ 五所川原第三中学校

昭和47年4月1日 栄中と梅沢中の一部を統合して開校






五所川原市立 第四中学校

作詞 高橋 靖
作曲 川崎 祥悦

一、津軽豊原 広々と
   飯積む姿 朝夕に
   四道集いて ほこらかに
   大志を胸に いざ進まん
   栄あれ 栄あれ 第四中学校

ニ、岩木高峰は 巌として
   荒馬踊る 意気しめて
   よき師よき友 肩寄せて
   勉め励まん いざ語らん
   栄あれ 栄あれ 第四中学校

三、濃紺織りなす 綾模様
   十川の流れ 尽きずして
   男鹿の里の 学びの舎
   我等が母校 いざ賛えん
   栄あれ 栄あれ 第四中学校






五所川原市立 三好中学校

作詞 小野 正文
作曲 清野 健

一、源遠き岩木川
   萌ゆる緑野を潤して
   青海原に連なれり
   我も抱負を胸にして
   広き世界に伸びゆかん

ニ、雲行き交わす岩木山
   揺るがぬ啓示に象りて
   大蒼空に聳え立つ

   我も精神を直くして
   父祖の残せし夢継がん

三、名も郁わしき三好邑
   黄金の稲田波うちて
   稔りの秋は饒かなり
   我も身体を強くして
   生産励む者たらん

四、雪花と散る津軽野よ
   白ひといろにとざせども
   春の訪れ遠からず
   我も志操を堅くして
   幸福拓く者たらん






(旧)柏村立第一小学校

作詞 不明
作曲 不明

一、ぼんじゅのやまに 陽の出でて
   かしわのさとは いぶきせり
   校庭のまつは みどりまし
   かぜにもまけず すくすくと
   自由に生きん ともがきよ
   おおらかに なごやかに
   いざともに

ニ、いわきのみねは かがやきて
   きぼうたかなる まなびやに
   校旗はたかく ひるがえり
   あめにもまけず すくすくと
   せいぎはたさん ともがきよ
   すこやかに なごやかに
   いざともよ

三、ありすがむらは さとされて
   ぶんかのはなが さきいずる
   みおやのわさを うけつぎて
   ゆきにもまけず すくすくと
   へいわきずかん ともがきよ
   きよらかに なごやかに
   いざともに 






(旧)柏村立第二小学校

作詞 小野 昇之進
作曲 小野 欣一

一、津軽の野面 はてしなく
   生産のしるし 日に進む
   はるかに仰ぐ 岩木嶺に
   希望はたぎる この朝
   よき里学べ
   玉稲のわれら 玉稲のわれら

ニ、柏の梢を 吹く風は
   さかまく雲を 吹き流し
   我が学舎に 息吹して
   理想の空を かけるなり
   よき里学べ
   玉稲のわれら 玉稲のわれら

三、苦節にたえし 校門の
   老いたる松は 語るなり
   蛍雪つみて ゆめをもつ
   心のまどを 開けようと
   よき里学べ
   玉稲のわれら 玉稲のわれら

四、玉水川の うるおいに
   みどりの早苗 すくすくと
   みのりの秋は いねのもり
   生命あらた かぎりなし
   よき里学べ
   玉稲のわれら 玉稲のわれら






(旧)柏村立第三小学校

作詞 小野 昇之進
作曲 小野 欣一

一、朝な夕なに 仰ぎ見る
   岩木の嶺の 雲はれて
   気高き姿 さっそうと
   柏の里は 風かおる
   よき丘で つとめよ
   ああ 三小のわれら

ニ、大地の愛に 育まれ
  早苗 すくすくと
   ほのかな望 いだき
   やがて光を 放つらん
   よき丘で はげめよ
   ああ 三小のわれら

三、匂うりんごの の中
   雄々しく立てる 学び舎に
   歩調もあらた 共に
   蛍雪つみて たゆみなく
   よき丘で きたえよ
   ああ 三小のわれら

四、歴史は遠く 三百年
   文化の花の 咲きいずる
   芦の川原を きり拓き
   ゆたけき稔り 地に満てり
   よき丘で 応えよ
   ああ 三小のわれら






柏村立柏中学校

作詞 藤田 圭三
作曲 小野 欣一

一、輝く岩木嶺 風かおる
   豊けき姿 仰ぎみる
   喜び深く 健やかに
   よき友 この丘
   ああ 柏あれら

ニ、緑木芽生えて 実を結ぶ
   はるかな望み 旗の道
   若葉の光 伸びやかに
   よき友 この丘
   ああ 柏あれら

三、雄々しく立ちたる 学び舎に
   とどろと響く 鐘の音よ
   歩みも新 明らかに
   よき友 この丘
   ああ 柏あれら

四、柏葉求めし その上の
   さとしは今も 上に咲く
   真心厚く さわやかに
   よき友 この丘
   ああ 柏あれら

昭和24年11月3日制定




木造町立向陽小学校校歌

弥富破摩雄 作詞
小松耕輔 作曲

一、偉容けだかき 岩木嶺を
  軒端に近く 仰ぎつつ
  瑞穂ゆたけき 千町田を
  外面に遠く 見る所

二、八千代かれせぬ 菊の池の
  清き流れの すえ受けて
  向う朝陽を 学校の
  名に負いたるぞ 我が誇

昭和八年七月一八日制定



稲垣西小学校

作詞 斉藤みよし

作曲 木村 繁


一、稲田の中の 我が校舎
  朝日をあびて 通う道
  学ぶ声も たからかに
  いつも早苗と 伸びくらべ
  ああ西小学生 明るく伸びようよ

二、輝くるりの 窓窓に
  気高くうつる 岩木山
  学ぶ力 たくましく
  今日も岩木を 仰ぎみる
  ああ西小学生 楽しくはげもうよ

三、岩木の流れ そのままに
  しぶきをあげる わが庭べ
  学ぶ心 きよらかに
  明日にきたえて 花咲こう
  ああ西小学生 仲よく進もうよ




金木小学校

作詞 小野 正文
作曲 木村 繁

一、ゆるぎなき 岩木高嶺を
  あおぎむる 芦野の原は
  花ばなの 咲きつぐところ
  清らなる 風も緑も
  めぐまれし この学び舎よ

二、われらみな 瞳あかるく
  文をよみ 学びにはげむ
  思わずや 小さきつぼみの
  つぶらなる 果となるを

  友よいざ わがふるさとに
  いつの日も 微笑わすれず
  幸多き 明日をまねかん






金木町立川倉小学校

作詞 中谷 金四郎
作曲 間宮 秀樹

一、かもしかの尾根そびえる
  緑の丘にひらけゆく
  みんな正しい美しい
  空は白雲ちぎれ雲
  学ぶ我等の園はここ

ニ、岩木の姿うつってる
  湖畔の道にみのるゆく
  みんな豊かに健康に
  空は三月ぼたん雪
  学ぶ我等の園はここ





金木中学校

作詞 小野 正文
作曲 早坂 文雄

一、陸奥に春は復りて
  緑映ゆ梵珠山脈
  花薫る芦野の原
  地の上は歓喜に溢る
  新しき歴史の歩みに
  若き日よ希望明るく
  自由謳わん
  金木中学その名の下に

ニ、津軽野に秋は実りて
  藍匂う岩木山影
  水澄めり藤枝の沼
  胸底は感謝に温く
  饒かなる自然の恵みに
  若き日よ光栄享けて
  平和憧れん

三、北の涯雪に暮れつつ
  遠白く屏風丘陵
  潮騒ぐ七里長浜
  雲の間は星座 めく
  進み行く時代の流れに
  若き日よ微笑湛えて
  正義葉果さん
  金木中学その名の下に





金木南中学校

作詞 小山内 末美
作曲 小倉 尚継

一、津軽野に光溢れて
  岩木嶺の残雪まぶし
  観音の緑に映えて
  この丘に建ちし学び舎
  ああ我等大地踏まえて
  新しき歴史を創る
  真理究めん
  金木南中学校

ニ、小田川の水面輝う
  梵珠嶺の雲の去来や
  権現の海をはるかに
  この丘に建ちし学び舎
  ああ我等無限の空へ
  新しき未来を拓く
  翼弘げん
  金木南中学校

三、津軽野に雪は降りつみ
  山裾に描くシュプール
  ひば大樹天空高く
  この丘に建ちし学び舎
  ああ我等世紀の旗に
  新しき世界を生きる
  聖火掲げん
  金木南中学校





板柳北小学校
一、草萌ゆる 津軽広野に
  雄々しくも 岩木は立てり
  限りなき  光を浴びて
  我らいま  まなざし上げん
  あゝ北小  板柳北小学校

二、波打つは 稲穂のみどり
  水清く   流るるところ
  天を指す 学びの塔よ
  我らみな まなざし上げん
  あゝ北小 板柳北小学校

三、赤き実は  父母の教えぞ
  耐え抜きて 情やしない
  知をみがき からだをきたえ
  名峰を    ともに目指さん
  あゝ北小  板柳北小学校






板柳中学校
一、君見ずや 岩木の高嶺
    雪白く ひだに残るを
  かぐわしく アカシヤ匂い
    若き日よ 郭公鳴けり
  大いなる 未来をめざし
    はげむべし またなき今を

二、君見ずや 津軽の野づら
    くれないに りんご実るを
  澄みわたる 空のかなたに
    若き日よ 雲もかがやく
  限りなき 希望を燃やし
    うたうべし またなき今を

三、君見ずや 岩木の川辺
    金色に ポプラ光るを
  ゆきゆきて 海にそそがん
    若き日よ 水もさざめく
  新らしき  世紀のために
    まなぶべし またなき今を
  名もなつかしき われらの学び舎
    栄あれ 板柳中学校






常盤村立常盤小学校
一.山なみ青く 丘辺はみどり
  十川のながれ 水はさざめく
  ここに立つ 常磐の校舎
  ああ われらみな 明るい瞳で
  岩木のように 未来をめざす
 
二.りんごは赤く 稲田は黄色 
  津軽の野づら 空は広がる
  ここに立つ 常磐の校舎
  ああ われらみな 体をつよくし
  岩木のように 大地に根ざす
 
三.真白に光る 岩木のすがた
  あおぎみるとき 胸はたか鳴る
  ここに立つ 常磐の校舎
  ああ われらみな けなげな心で
  岩木のように 時代に伸びる






青森県立五所川原高等学校

作詞 近藤 忠義
作詞 岡 利次郎

一、みちのおく津軽のさとの
   水清く岩木の川べ
   閑古鳥しば啼くところ
   懐し五所川原われら集へり
   よき師 よき友
   敬愛の腕固く組み
   いざ いざ いざ いざや行かむ
   若人われら

ニ、みちのおく津軽のさとの
   黄金なす稲田はそよぎ
   香果の照り添ふところ
   美し五所川原われら集へり
   よき師 よき友
   叡智の瞳輝かせ
   いざ いざ いざ いざや行かむ
   若人われら

三、みちのおく津軽のさとの
   風寒き岩木の峯に
   遠海のとよもすところ
   巌し五所川原われら集へり
   よき師 よき友
   進取の眉根高くあげ
   いざ いざ いざ いざや行かむ
   若人われら 若人われら






青森県立 五所川原農林高等学校

作詞 三浦 圭三
作曲 佐々木 すぐる

一、岩木の高嶺岩木川 山水清き菊が丘
   薫れる園圃目も遥に 甍並べて十余棟
   構へもしるき校舎こそ 歴史栄ある五農校
  
ニ、入りては農の理を究め 出ては之を実に践み
   執る一鍬に一鎌に こもる我等が意気を見よ
   無限に富めるこの大地 開く宝庫の鍵はこれ

三、瑞穂の国の大御民  御民の中の民として
   土に親しみ土をめで 肥やし耕し耘りつ
   励む我等に恵みあれ 土の王者に栄あれ 






青森県立五所川原工業高等学校

作詞・作曲 明本 京静

一、岩木の山は いや高く
  十川の水は いや清し
  林檎花咲く みちのくに
  「無限の可能」求めんと
  集いて学ぶ 友と我
  おお 五所川原工業高校

二、学問と技術のきぎしさを
   円満きこころに溶かしつつ
  明朗努力誠実もて
   日に夜に進む人類の
   科学にいどむ友と我
   おお 五所川原工業高校

三、白皚々の津軽野に
   岩木おろしよ吹かば吹け
   理想に燃ゆる若人の
   意気天を街く前進に
   凱歌もたのし友と我
   おお五所川原工業高校






青森県立木造高等学校

作詞 横山 武夫
作曲 木村 繁

一、屏風なす山の 黒松樹林
   国原まもり 茂りたくまし
   われら知る われら受け継ぐ
   遠き日の 栄えをねがい
   強くおおしく たてし志を
   大望ありき 荒野のなかに
   誠実は光なりき 勤勉は力なりき

ニ、天なるや仰ぐ 永遠の岩木嶺
   地なるや由緒の 銀杏はたてり
   高きに拠り 真理をもとめ
   身をささげ 世の幸啓かん
   生命のふるさと 銀杏ヶ丘よ
   理想あたらし わが津軽野に
   誠実は光なれや 勤勉は力なれや






木造高校(旧校歌)

作詞 近藤 忠義
作曲 岡野 貞一

一、天そそり立つ岩木が嶺
   眼路もはるけき津軽の野
   大き自然にはぐくまれ
   青春の日をここに集ひて
   おおわれら
    銀杏ヶ丘の健男児
   高なるわれらが血潮は赤し

ニ、剛健の眉高くあげ
   正義の瞳かがやかせ
   和親の腕かたく組み
   建設の道拓き行くべき
   おおわれら
    銀杏ヶ丘の健男児
   あふるる我等が意気こそミれ






金木高等学校

作詞 横山 武夫
作曲 木村 繁

一、北津軽野の原ひろく
  起き伏す山竝ゆく水よ
  日は若き光にみち
  胸ふかく希望はぐくむ
  ああ我等思想けだかき
  建設の道にむすびて
  集うなり芦野ヶ原に

ニ、かざせり羽ばたく鷹の羽の
  虚空はてなき進取のしるし
  よるよ伝統の誠実
  新しき時代に貫きたてん
  ああ我等岩木の山の
  厳しき息吹
の子等ぞ
  はげまばや芦野ヶ原に






青森県立岩木高等学校
一.白雪 父なる 岩木にひかり
  母なる 岩木は 青く流るる
  山河よ 幸あれ 理想に燃えて
  勤しみ 学ばん 若人われら
  栄えあれ 母校よ
  讃えよ その名 
  青森岩木高等学校
 
二.蒼天馳せゆく 希望のつばさ
  いのちに溢るる 若き歌ごえ
  みどりの丘の上 学びの庭よ
  わが師父 わが友 忘れじ永遠に
  栄えあれ 母校よ
  讃えよ その名 
  青森岩木高等学校
 
三.日輪いま生る 紅映えて
  明けゆく 津軽野 万朶の桜
  伝統うけつぎ 風雪 越えて
  築かん 揺がぬ 平和の楽土
  栄えあれ 母校よ
  讃えよ その名 
  青森岩木高等学校





旧制弘前高校寮歌
大正13年作「都も遠し」
  名も埋もれ木のあらわるる
  夢語ろうて雪の国
  津軽の富士の暁に
  聳ゆる姿胸に抱き
  見よ紺青の空たかく
  たてよ大鵬(おおとり)みちの奥





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