近 世
(安土桃山、江戸、幕末・明治時代)

●応仁の乱から戦国時代そして安土桃山時代をへて江戸時代になり日本は本格的な統一政権のもとに平和な時代が続き武士階級から庶民まで含めて居食住すべてにおいて江戸文化と呼ばれる独自の時代文化を発展させて行きました。


江戸時代になると、藩どうしの結びつきが幕府によって禁止され、交流の度合は最も低くなりますが、庶民の間ではそれなりに交流が続いていました。

●江戸時代、各藩の大名は参勤交代(さんきんこうたい)で江戸にのぼり江戸の文化を吸収しました。また京都にも留守居役という出先機関をおき京文化も移入しました。


●江戸時代には北海道で事件が起こると津軽・南部の両藩は出兵することもありました。1669年、シヤクシャインの乱にも津軽藩が出兵しました。
シヤクシャインの乱てどんなもの?

シヤクシャインの乱とは松前藩の収奪に抵抗しておきた近世最大のアイヌ民族の蜂起による大乱です。1669年6月に東西蝦夷他のアイヌを団結させた首長シヤクシャインの蜂起は徳川幕府にも衝激を与え初めて直接的な軍事鎮圧を行いました。鉄砲などの武器の差にもより4ヶ月後の10月に終結しました。

●津軽藩・南部藩(青森)と松前藩(函館)は江戸時代初期には対立していましたがやがて近隣の藩として協力するようになりました。

●青森からは米・雑穀などがもたらされ函館からは海産物が移出されました。この海産物は食用だけでなく肥料としての干鰊や魚粕もありました。


●アイヌと交易した商人は主に近江商人や北陸地方の商人でした


●幕末になりロシア船の出現などにより北方防備を考えた幕府はさかんに視察隊を派遣しました。

●当時の米国海軍ペリーの一行が函舘を訪れ、やがて国際的に開港すると南北海道は幕府の直轄地となり江戸との結びつきが強くなりました。

●開港とともに欧米の商人や中国人の商人が往き交い華やかな都市文化が生まれました。
●今日その銅像が函舘市にある高田屋嘉兵衛は青函圏の漁場開拓や物産の発展に大きな貢献をしました。









●江戸時代中期以後、幕末になるまで商業や生活文化・食文化の発展にともない北海道や青森の海産物は北前船によって京・大阪・江戸に移出され青函圏の大きな産業を育てました。これにともない青函圏の人的交流は再び活発なものとなりました。