(松前郡松前町)

茂草の石神様
 茂草(もぐさ)のヌカモリ山にまつった神様は、とても子供が大好きで、いつもヌカモリ山の上に子供たちが遊びにくるのを待っていました。 「きょうもどこそこの子供がきた。どこの子供がこない。どうしてだべ」ってね。
 そんなわけで子供たちは、毎日、朝から遊びに行っては、神社の中からご神体をとりだし、ご神体の胴に縄を結んで山のテッペンから下の水たまりのあるヨシ原の大谷地めがけてころがした。 
 (※ご神体=みたましろ)

 ご神体は、水たまりにドアンと落ちた。
 子供たちは、泥と水で濡れたご神体をまた頂上に引っ張り上げる。
 するとどうしたわけでしょう。とても軽くなって上がるのだそうです。
 
 こうして、子供たちは、食事をするのも忘れて、一日中神様と一緒に遊んでいました。
 ところが、ある日のこと、一人の女の人が通りかかり、神様と楽しく遊んでいる子供たちに向かって、「おまえたち、神様をそのようにすると罰が当たるぞ」と言って立ち去ったのです。
 「バチ」が当たると聞いた子供たちは、ピックリぎょうてん、それからというもの誰一人として、神様のところに遊びに行く者がなくなってしまいました。

 子供たちと遊べなくなったヌカモリ山の神様は、それ以来一人ションポリと暮らしていましたが、とうとう寂しさに耐えられなくなり、子供たちをとがめた女性の目を見えなくしてしまいました。 その女性は、突然目が見えなくなったので不思議に思い、「イタコ」という占いに見てもらったら、「あなたはいつか、神様と遊んでいる子供たちをとがめたことはありませんか」と開かれ、「はい、あります。ずうっと前に茂草の野を通った時、遊んでいる子供たちに、神様にそんなことをすると罰が当たるから止めなさいと言いました」と答えました。

 その後イタコの言うとおりに、神様に三、七、二十一日あやまったら、目が見えるようになったということです。
 それからというもの、子供たちは、また昔と同じように山に登っては神様と遊ぶようになりました。
 ちょうどその頃だつたろうか、松前の殿様は、「松前には松前の八幡社があれば、あとの神社は必要がない」と言って、各部落の神社を全部海に捨てることにしました。
 それから数日後、殿様とその家来たちが茂草の神社を海に捨てることになりました。
 ところが、家来の者たちがご神体を投げようとして持ち上げたところ全然ビクともしない。
 そこで殿様が、「どれ、殿が持ち上げてみる」と言って持ちあげると軽々と動く。
 「こんな軽いものなら、すぐ投げることができるではないか」と言って、投げようとするとまた動かなくなりました。


 こうして、村の人々が大切にして、長年信仰してきた茂草の神様には、松前の殿様とて打ち勝つことができず、とうとう投げるのをあきらめ、反対に立派なお堂を造ってまつることにしたということです。

 それ以来、松前の殿様もよくお参りにくるようになり、また沖を通る船は、みなこの神社へ礼をして行ったものだといいます。